中田宏(元横浜市長)


 橋下さんとは最初、テレビ番組で一緒になったことが何度かあり、顔見知りの関係でした。2008年、大阪府知事に就任した橋下さんは、財政立て直しを非常に重視していました。ならば目指すところは同じということで、僕の方が彼に就任祝いの電話をしたのがきっかけで本格的な付き合いが始まりました。

 僕と大阪とのかかわりは、もともと橋下さんが出馬する前の2004年府知事選挙だった。江本孟紀さんが出馬され、その対抗馬にオール与党の相乗り候補で太田房江さんが出た。その時、僕は横浜市長として江本さんの応援に入ってるんです。オール与党になると議会の議論は極めて停滞し、首長に対する歳出圧力だけの議会と行政、すなわち批判勢力の牽制の効かない状態になるんです。相乗り候補でオール与党議会をつくるという構図で首長は完全に議会側の御輿に乗るだけ。貸し借り勘定で、行政を通じて議員たちの歳出圧力にこたえ続けていかなければいけない。公共事業も増やさなきゃいかん。公務員も増やさなきゃいかん。公務員の厚遇も守っていかなきゃいかん。各種補助金も守っていかなきゃいかん。福祉も充実させなきゃいかん。もうあらゆることを借金と肩代わりに、オール与党の歳出圧力にこたえていくという関係ができるわけです。

 これが僕は大問題だと思っていて、僕自身は横浜市長選ではオール与党ではない出方をして改革を進めていたわけです。それで江本さんの応援に入ったのですが、江本さんの出馬というのは、実は大阪維新の前哨戦なんですね。今はもう誰も覚えていないけど2004年の府知事選は自民党(現・おおさか維新の会代表)の松井一郎さんを初めとした人たちによる自民党分裂選挙だったわけです。そういう意味で今の維新の人たちとは、江本さんの応援という段階から既に一緒にやっていたんです。

 橋下さんとは、いわゆる三割自治=極めて制限された地方自治の在り方に対する問題認識を共有していた。例えば国道一つとっても国の事業であるにもかかわらず地方側が一部を負担、国が決めたらこっちは出さなきゃいかん、みたいなね。こういうことに対するお互いの主張は当然一致するわけだし、連絡を取りあい国に意見を言っていた。2009年、僕が横浜市長を退いて、そこで橋下さんから「大阪をぜひ手伝ってくださいよ」という話になったから「それはもちろん喜んで」ということで大阪市の特別顧問になった。