潮匡人(評論家、元3等空佐)



 在日ロシア大使館のセルゲイ・コワリョフ元駐在武官に加え、元東部方面総監(元陸将)と、かつて彼の部下だった現職の陸将ら合わせて7人が書類送検された。容疑は「職務上知ることのできた秘密」の漏えいを禁じた自衛隊法違反である。

 報道によると、元陸将は2013年5月、都内のホテルで、陸上自衛隊の教範「普通科運用」を駐在武官に提供したという。元陸将は「違法だと分かっていたが、駐在武官が勉強熱心だったので渡してしまった」らしい。「悪気はなかった」とも言えるが、「陸幕長に次ぐN02の方面総監にしてこのレベル。脇が甘い。意識が低い」とも非難できよう。

 ただ事実が報道されたとおりなら、送検には多少の疑問を覚える。当該教範は「自衛官であれば上司の許可を得たうえで、駐屯地内の売店で購入することができる」、「教育訓練以外の目的で使用してはならないことや、用済み後は確実に破棄することなどが記されている」(NHK)が、逆に言えば、それだけの文書に過ぎない。
G20首脳会合の記念撮影に臨む際、あいさつを交わすオバマ米大統領(左)とロシアのプーチン大統領(中央)。右は安倍首相=11月15日、トルコ・アンタルヤ(共同)
G20首脳会合の記念撮影に臨む際、あいさつを交わすオバマ米大統領(左)とロシアのプーチン大統領(中央)。右は安倍首相=11月15日、トルコ・アンタルヤ(共同)
 要するに秘匿性が低い。失礼ながら陸自は(たぶん)すべての教範に上記趣旨を付記しているのではないか。たとえば「戦闘に関する基本的原則を記述した」通し番号「1―00」で始まる陸自教範Yの表紙も「部内専用」等と明記する(が「上司の許可」なしに市ヶ谷駐屯地の売店で買えた)。

 他方、通し番号「01―1」で始まり「教範体系の最上部に位置する」同種の空自教範Sにそうした記述はない。ないどころか教範の全文に加え、親切に「解説」まで付記した書籍が市販されている。反対に、海自の同種教範は秘密指定されている。

 つまり同じ部隊運用に関する教範でも、陸海空で扱いが大きく異なる。さらに言えば、戦前まで「軍事機密」だった旧軍の「統帥綱領」や、上記陸自教範Yが参考にした「作戦要務令」は戦後、一般書籍として市販されており、誰でも読める。

 自衛隊員(およびOB)が「漏らしてはならない秘密」とは、専門用語でいう「実質秘」。「非公知の事実であって、実質的にもそれを秘密として保護するに値するものと認められるもの」(最高裁)に限られる。歴代政権もこの司法判断に従っている。

 果たして今回の教範が「実質的にもそれを秘密として保護するに値するものと認められる」だろうか。仮にそうだとしても、送検に値するほどの秘匿性があったと言えるだろうか。私は疑問を禁じ得ない。

 現職の陸将らは「教範の入手は手伝ったが、まさか駐在武官に渡るとは思わなかった」と供述しているという。実際その通りなのであろう。「脇が甘い」等の批判は免れないが、世話になった元上司に頼まれ、売店で教範を買ってあげた。そこに、送検に足るほどの違法性があるだろうか。百歩譲って、あるとしても、起訴に足るほどではなかろう。

 本稿の意図は当局への批判ではない。あくまで以上は、報道された範囲での論評であり、事実が報道のとおりとは限らない。上記以外の重大な秘密漏えい疑惑があり、それを追及すべく、より証拠固めの容易な教範提供で立件した可能性も残る。