有田芳生(参議院議員)

 オウム真理教元信者の菊地直子被告に対して、東京高裁が地裁判決(懲役5年)をくつがえし、無罪判決としたことが、さまざまな議論をよんでいる。「サリン事件にはかかわっていなかったにしても、都庁爆破事件で被害者がいるのだから、判決はおかしい」という意見は、その代表的なもので、俗耳に入りやすいものである。爆発物の材料を運んだのだから、危険な薬物だと知らなかったとしても責任があるというのだ。感情的にはそう判断されてとしてもおかしくない。オウム事件当時はまだこどもだった記者もいるほど、地下鉄サリン事件から20年という時間は、風化を生むだけの流れである。菊地被告についての当時の報道で、もっとも印象に残っているのは「走る爆弾娘」だ。
第12回大阪国際女子マラソンで206位でゴールする
菊地直子(オウム真理教) =1993(平成5)年1月31
日、大阪市東住吉区の長居陸上競技場
第12回大阪国際女子マラソンで
206位でゴールする 菊地直子
(オウム真理教) 
=1993年1月31日、
長居陸上競技場
 なぜこんなレッテルが貼られたのか。それは被告がオウム教団のなかでマラソンランナーであったことと、オウム事件が結びつけられたからである。菊地被告は地下鉄サリン事件やVX事件でも指名手配されていた。逮捕まで17年間も逃走を続けていたのだから、自分でも犯罪にかかわっていることをと自覚していたはずだと世間の多くは思っていただろう。だがオウム裁判を振り返れば、菊地被告が凶悪事件にかかわっってはいなかったことがわかる。菊地被告についてはほとんど言及されていないのだ。サリン事件とVX事件では不起訴。起訴された都庁爆破事件の裁判でも中川智正死刑囚が、被告に専門的な化学知識はなかったと証言している。

 教団末端信者であった菊地被告は、なぜに17年間も逃走を続けたのか。おそらく「こわかった」のだろう。自分は関与していないのに、地下鉄サリン事件やVX事件などで指名手配をされていたから、逮捕されたなら罪を着せられるのではないかと思ったのではないか。平田信被告が逃走を続けたのも、警察庁長官銃撃事件の犯人にされるという恐れがあったという。菊地被告の場合は、さらに加えて離れたくない男性がいたことも、出頭をためらわせた理由だと思う。凶悪組織だとはいえ、事件にかかわった信者はそう多くはない。そのなかでも事件を起こした信者と接点があったゆえに菊地被告に捜査の手が及んだ。

 ここで高裁判断および検察による上告理由となったひとりの信者のことを想起する。井上嘉浩死刑囚である。ここで少し個人的な経験を紹介させていただく。井上という人物についてである。高校時代に信者となり、大学を中退して出家、教団のなかで「天才的修行者」と評価され、「諜報省」責任者として、数々の謀略事件を起こしている。地下鉄サリン事件が起きてから、私はある縁から井上のご両親と会うことになる。とくに父親とはなんども接触が続いた。井上が逮捕されてから書いた詩を見せてもらっただけではない。事件周辺についての手記も書きはじめていたのである。

 井上手記はノンフィクション作品を読むようで、情景がリアルかつ詳細に描かれていた。事件当事者しか知りえない「事実」を知るのだから、これほど興味深いことはなかった。いずれ単行本にするという計画もあった。ひとことでいって「読ませる」のだ。オウム裁判のピークとなった麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚との法廷対決は、まさに圧巻だった。麻原彰晃が精神に変調をきたすきっかけでもあった。麻原彰晃と同乗したリムジンでサリン散布の謀議が行われたことを証言したのだから、教祖と事件との結びつきを示す決定的証言でもあった。

 ところがそれから20年近く。いまでも井上証言は詳細でリアルだ。そこで素朴な疑問がわいてくる。人間の記憶とはそこまで正確なのだろうかと。たしかに人生のなかには特別な出来事が記憶に鮮明に焼き付くことがある。誰もがそうした経験があるだろう。しかし井上証言は、ストーリーとして、具体的に物語るという特徴を持っている。たとえば井上に対して菊地被告が「がんばります」と語ったことが、裁判では事件への関与として重要な意味を持っていた。しかし教団での地位を知っていれば、末端信者が指導者のひとりに語った言葉として捉えれば、ごく自然なことである。しかも井上死刑囚と菊地被告の会話が事実かどうか、誰も証言者はいない。

 無罪判決を出した東京高裁は、井上証言に疑問符をつけた。検察が上告したのは、ならば高裁でも井上死刑囚に証言を求め、検証すべきだというのが理由だ。おそらく上告審でも無罪判決は揺るがないだろうと私は判断する。それは雑誌『創』に掲載された菊池手記を読んだからだ。裁判の前提となる本人の証言は重い。http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20151129-00051947/ ここでもマスコミ報道の問題点が当事者の立場から吐露されているが、事件当時に「走る爆弾娘」とレッテルを貼ったことへの反省が、いまでも見られないことに驚かされた。記者は代われど、報道精神において、この20年、体質は変わっていないことは、もっと真剣に検証されてよい。

 菊地直子裁判が問うているのは、裁判員裁判における被告人に対する世間の印象であり、それを作り上げるメディアの責任でもある。ある記者が作った「走る爆弾娘」という言葉は、テレビ、新聞、週刊誌、さらにはネットでも繰り返し広く流布していった。ところがいざ逮捕されると、地下鉄サリン事件でもVX事件でも不起訴、さらに都庁爆破事件では上告されたとはいえ高裁では無罪。わたしたちの社会は、「走る爆弾娘」という壮大なる「空白」に踊らされてきたことを、恥ずべきだろう。(一部敬称略)