猪野亨(弁護士)

 元オウム信者に対し、東京高裁が逆転無罪判決を下し、血迷った検察は、「高裁判決は国民感覚からの乖離」を理由に上告しました。本当に不当極まる上告です。

 これに対して、ネット界の人たちを中心に「有罪論」が渦巻いているのですが、新鮮な驚きです。
 この刑事裁判では、有罪とする方が無理がありすぎます。
「菊地被告は、そうした特別な女性たちとは違い、教団PRのために出場するマラソンの練習に明け暮れたり、土谷正実死刑囚の下で化学実験の下働きをしたりする立場だった。一連の事件で起訴された教団関係者の中では、末端信者の部類といえるだろう。」(江川紹子氏)

「「もちろん、菊地にも“何かやばいものを運んでいる”くらいの認識はあったのかもしれない。でもそれでは足りません。“殺人に使われるものを運んでいると、うすうす知ってやっていた”ということが証明できないと有罪にならない。そこまで立証するのは、オウム事件に限らず難しいことです」(落合洋司弁護士)」

 17年も逃亡生活を送っていたことが有罪の(状況)証拠になりうるのかどうかですが、ネット界の人たちは、「有罪だから逃げていたんだろ」というのですから、このような発想ではとんでもない認定になりそうです。
 江川氏は、この点についてかなり穏やかに論じています。
「菊地被告は、薬品類を運んだ時点では、「何に使うのか知らなかった」と述べている。薬品の運搬を指示した中川智正死刑囚も、彼女には目的を告げていないと証言した。それでも、逃げている間に事件に関する報道を見聞きし、自分が運んだ薬品類で爆薬がつくられ、事件が起き、内海さんがひどい怪我をしたことを知った。当然、「罪の意識」は生じたろう。」
 だから出てこれなかったということなのですが、私からしてみれば、あのときに出頭していたら、オウム憎しの風潮の中で、それこそ「それだけ」で有罪にされてしまいかねない状況と元オウム信者が感じていたとしても不思議はないし、むしろ当然の恐怖心だったのではないでしょうか。
 痴漢えん罪でもそうですが、時折、やっていないなら堂々と弁明したらよいではないかという人がいますが、あまりに世間知らずです。
 そのまま現場に居残ってしまえば、警察に引き渡され、無理にでも自白させられてしまいます。逮捕という扱いをされるからです。
 疑われた方が無罪を立証しなければならないという現実があるにも関わらず、逃げたことをもって「有罪」というのはあまりに乱暴です。

 元オウム信者は、特に警察とマスコミによって「走る爆弾娘」などというレッテルを貼られ、極悪非道の犯罪者であるかのように宣伝されていました。これで国民の間では、早々に「有罪」判決が下されていたのです。
 この一連の捜査、報道がどうだったのかこそ検証すべきです。

 それから裁判員裁判を持ち出すのは何度も繰り返してきたところですが、愚かなことです。
 ましてや検察庁が「国民感覚から乖離」などというのはとんでもないことです。
 検察庁は、裁判員裁判が破られた死刑判決に対しても上告の理由の中で「裁判員裁判」を理由に使いました。
 そこまで言うのであれば、裁判員裁判に対する検察官の控訴、上告の制度はやめたらいいのです。自主的にやめてもらっても結構です。

 それにしてもネット界の人たちは、何故、ここまで元オウム信者に対する「有罪」にこだわるのだろうかと不思議に思います。

 無罪判決が確定した以降になると思いますが、逃亡の身に追いやったことについてはたとえ本人にも責任の一端があるとはいえ、ひどい結果を与えたのですから、国もマスコミも金銭補償も含め、相応の責任をとるべきでしょう。
弁護士 猪野 亨のブログ 2015年12月12日)