「過去のオウム裁判の記録を見ても、菊地さんの名前がほとんど出てこない。菊地さんはサリンの生成には関与していないのではないか」
 接見室で国選の弁護人の先生からそう言われたのは、私が平成24年6月3日に逮捕されてから、それほど経っていないある日のことでした。
 
 「えっ、そうなんですか?」
 私は全国指名手配されて逃げているうちに、自分が地下鉄サリン事件で使われたサリンの生成に、なんらかの形で関与してしまったのだろうと思いこんでしまっていました。しかし、よくよく思い出してみると、指名手配になった当時は「なんで私が?」「幹部と言われている人達とたまたま一緒にいたからかなあ?」などと思っていたのです。

 後になってから、「あの作業がサリンと関係していたのだろうか?」と考えてみましたが、私と一緒にその作業をしていた人は、地下鉄サリン事件では逮捕されていません。「薬事法違反」で起訴されているだけでした。「それでは何が?」と考えても他に思いつきませんでした。結局、何がサリンと関係していたのかがはっきりしないまま、私は17年も逃げ続けてしまったのです。

オウム真理教地下鉄サリン事件 地下鉄日比谷線の
築地駅前の路上に設置された救護所。多数の救急車
が詰めかけ、緊迫した雰囲気に包まれた=1995年3月
20日、東京・地下鉄日比谷線築地駅前
オウム真理教地下鉄サリン事件 地下鉄日比谷線の 築地駅前の路上に設置された救護所。多数の救急車 が詰めかけ、緊迫した雰囲気に包まれた=1995年3月 20日、東京・地下鉄日比谷線築地駅前
 先生に「サリンの生成には関与していないのではないか」と言われて、ようやく気付いたのです。「ああ、私はサリンの生成には関わってなかったんだ。何がサリンと関係していたのかがわからなくて当たり前だったんだ」と。

 私に地下鉄サリン事件の殺人・殺人未遂容疑で逮捕状が出たのは平成7年(1995年)5月16日のことです。地下鉄サリン事件が起きたのは、同年の3月20日のことです。事件が起きた直後、教団への強制捜査がせまった為に私が林泰男さんと逃走を始めたとか、八王子市内のマンションで潜伏していたなどの報道が一部でされていますが、それは正しくありません。逮捕状が出る直前まで、私は強制捜査の行われている山梨県上九一色村のオウム真理教の施設内で普通に生活をしていました。こんな事件を教団が起こすはずがないと思っていた私は、この騒動も直に収まると考えていて、まさかその後自分に逮捕状が出るなど夢にも思っていなかったのです(逃走生活が始まってからも、しばらくの間、私は地下鉄サリン事件は教団が起こしたものではないと信じていました)。

 林泰男さん達との逃走が始まったのは、逮捕状が出た直後の5月18日のことです。逮捕状が出る直前に中川智正さんに東京都内に呼び出されていた私は、5月17日に都心の某マンションに行くように中川さんから指示をされました(中川さんはその指示を出した直後に逮捕されてしまいました)。マンションに一晩泊まった次の日に林さんがやってきました。お互い相手の顔と名前は知っていましたが、話をしたことはありません。

 「じゃあ、行こうか」
 と林さんに声をかけられ、

 「どこに行くのかな?」
 と思いながら、彼と一緒にマンションを出たのが、17年にわたる逃走の始まりとなりました。

  逃走が始まったばかりの頃は、突然身に覚えのないことで全国指名手配になるという、あまりにも非日常すぎる状況に、現実が現実として感じられず、まるで映画の世界の中に迷い込んでしまったかのように感じた記憶が残っています。