松竹伸幸(ジャーナリスト、編集者)

 日韓外相会談に至った要因はいくつもある。よく言われているように、アメリカは、中国に対して同盟国が一致して対応しなければならないのに、日韓関係が不安定であることへの懸念を幾度も表明してきた。日本は、解決済みという建前を表明しつつも、実際には問題が存在していて、日本側が女性の人権侵害をした側にあると国際的に受けとめられている事態を、何とか打開したいと考えてきた。韓国は、当事者である慰安婦が納得する解決をと希望しつつ、安倍政権の基本的立場が変わるはずのないことは承知しており、どこかで妥協を求めていた。

 慰安婦の生ある内に解決しようとすると、残された時間は少ない。問題の解決を慰安婦が誰一人目にせぬまま亡くなったとなれば、より大きなしこりが将来にわたって残りつづける。そのような切迫した事情をふまえ、日韓条約50年の年が終わろうとするタイミングで、最初に述べた複合的な要因が重なり合って、今回の外相会談が開催されたということであろう。

 ただし、最大の要因は、別のところにあると考える。韓国の市民運動の変化である。いくら日韓の政府間で合意しても、慰安婦問題を主導する運動体の理解がなくては、再び迷走してしまうことは確実である。そこにある程度のメドがついたから会談するということなのだろう。しかし、運動体に変化が見られるとはいえ、その変化は道半ばだとも思われ、実際に最終的解決に至るのかは楽観できない。その事情を書いておきたい。

 この問題を知る人にとっては常識的なことだが、慰安婦問題をめぐる日韓の対立を理解するキーワードは、「法的責任」である。韓国側は、この問題は日本政府が当時の国際法、国内法に反して引き起こしたものであるので、国家としての法的な謝罪と賠償をする責任があるとしてきた。日本側は、日本が国家として関与したことは認めつつ、法的な謝罪と賠償の責任をとるような性格のものではなく、かつ日韓条約で法的にも決着済みであるので、人道的な見地での謝罪と金銭の供与が適当であるとしてきた。

 日本側がこのような考え方を表明したのが、いわゆる河野談話であり、それを具体化したのがアジア女性基金であった。河野談話は、いまでは左派の金科玉条となり、右派には忌み嫌われる存在であるが、93年の公表当時、評価は現在と逆転していた。

 たとえば産経新聞の「主張」は、「「強制連行」を、表現こそ違え、肯定するような意味を持つ」として危惧の念を表明しつつ、「改めで戦争が女性に強いた惨禍に胸が痛む」として、宮沢首相が表明した「おわびと反省の気持ち」の「言葉を繰り返す以外にない」と述べた。「民間主導でかつての慰安婦に誠意を示すことは大賛成だ」として、後のアジア女性基金の考え方を肯定している。「主張」のすぐ横に載った上坂冬子氏の談話では、いろいろ問題点を指摘しつつも、「政府の談話としてはこれが限度であろう」と述べ、限度として容認することを表明している。

 一方、朝日新聞は、「被害者の名誉回復への前進である」として前向きの評価を与えている。しかし、今後の課題として、「反省と謝罪をはっきりと内外に宣言すること」、「補償するべきは補償する」ことをあげている。これは、河野談話でははっきりとした反省と謝罪になっておらず、「法的責任」を果たすことを意味する「補償」も明言されていないことへの批判だったのである。