寺薗淳也(会津大学准教授、「月探査情報ステーション」編集長)

火星ブーム到来か?


 今年は、火星がブームになりそうな予感がする。

 アメリカでも興行収入1位を記録した映画『オデッセイ』が、まもなく日本でも公開される。この映画は、火星探査中に遭難し、NASAから死亡と認定された宇宙飛行士が実は生き延びていて、自らの知恵で命をつなぎながら地球へ助けを求めていく、というストーリーである。原作となったSF小説『火星の人』も話題となった。

 昨年10月、NASAはこの『オデッセイ』に絡み、実際にNASAが進めている有人火星探査の技術についてのウェブページを公開した。そのページをみれば、ローバーから植物栽培技術、火星基地の技術から宇宙服まで、火星での人間の滞在に必要とされることが今まさに研究されていることがわかる。

 そして、今年も火星に探査機が旅立つ。3月には、ヨーロッパ・ロシア共同の探査機「エクソマーズ」が火星を目指す。その火星には、すでに周回機5機、着陸機2機の合計7機の探査機が赴いている。同時に7機もの探査機が1つの天体を探査しているというのは過去に例をみないことであり、いかに世界が火星に注目しているかがわかるといえるだろう。

 その「火星ブーム」から乗り遅れているようにみえた日本も、ついに動き出した。昨年、JAXAなどは新たな火星探査、正確にいえば「火星の衛星」探査のミッションを発表した。火星に2つ存在する衛星のどちらかからサンプルを採取し、地球に持ち帰ってくるという計画である。「はやぶさ」「はやぶさ2」で培った日本のサンプルリターン技術が、今度は火星の衛星で活かされることになりそうである。実現は2023年頃とまだ先ではあるが、成功すれば、日本が2003年の探査機「のぞみ」軌道投入失敗で果たせなかった火星探査を、20年越しで実現できることになる。

 有人火星探査は、長年人類の、あるいはもう少し正確にいえば、アメリカの宇宙計画の究極の目標となってきた。古くは1989年、当時のアメリカのブッシュ大統領が、有人火星探査を行うことを宣言している。2004年になって、その子供にあたるブッシュ大統領が、月を中継基地として火星への有人探査を目指す「コンステレーション計画」を発表している。この計画自体は予算オーバーと全体的な行程の遅れからキャンセルされたが、現在のオバマ政権においても、アメリカの宇宙計画の最終目標が有人火星探査であることには変わりない。実際、コンステレーション計画から受け継いだオライオン(オリオン)宇宙船などを利用した火星探査のシナリオは、着々と練られている。そして、そのタイミングは2030年代なかばと設定されている。

火星の有人探査想像図。2名の宇宙飛行士が気象観測装置を持ち、火星表面を探査中。2004年頃のイラスト。Photo by NASA
 2030年代なかば。仮にそれが2035年だとすれば、あと20年弱というところである。

 20年というのは長いようにみえて実のところ短い。いまから20年前といえば1996年である。そういわれると、それほど昔には感じないだろう。

 私たちはもう、火星探査を夢物語やロマンではなく、「現実にやってくる未来」として取り扱わなければいけないのである。

有人火星探査は可能なのか?


 有人火星探査が現実となるときに考えなければいけないのは、「そもそも人間が火星に向かうことは可能なのか」ということである。

 火星と地球との距離は、もっとも近いときですら6000万キロもある。地球と月との距離が平均で38万キロであることを考えれば、桁で2つ異なる。火星というものがいかに遠いのかわかるだろう。

 しかも、火星探査機は近いときに打ち上げるというわけではない。火星も地球も互いに太陽の周りを動いている(公転している)ため、両者が最適な位置になるときに探査機を打ち上げる必要がある。打ち上げの機会も限られてくる。さらに、そのときは互いにもっとも近いわけではないため、最短距離をフルスピードで相手に向かう、というわけにはいかないのだ。

 さらに、帰ってくるときも厄介である。やはり、地球と火星との位置を勘案し、最もよいタイミングで帰ってくる必要がある。そのようなタイミングを見計らう必要もあるので、必然的に火星での滞在時間も長くなる。アポロ計画のように、月面で1日程度滞在して「すぐ」帰ってくるというわけではないのだ。

 この距離と時間こそが、有人火星探査にとっての大きなハードルになる。

 距離と時間がもたらす有人火星探査の問題のうち最大のものが、放射線被曝の問題である。

 宇宙には、宇宙線と呼ばれる電気を帯びた粒子が飛び交っている。これは放射線の一種である。

 放射線は、地球上などでは、放射能を持つ物質から放射される。アルファ線やガンマ線といった放射線が代表的であるが、宇宙線も似たようなものである。

 このような宇宙線(放射線)は、もし人体に当たると、体の中のDNAなどを傷つけてがんを起こすなど、いわゆる「被曝」の状態を引き起こすおそれがある。

 NASAは2014年、有人火星探査において宇宙線などの有害な粒子により浴びる放射線量が、NASAが許容している宇宙飛行士の生涯放射線被曝量を超えてしまうという結果を発表した。つまり、一度火星を往復すれば、人体に有害な放射線を、宇宙飛行士という特定の職業だから許容されているレベルをも上回るほど浴びてしまうということになる。

 長時間宇宙空間に滞在することによって引き起こされる放射線被曝の問題については、現在NASAでも解決方法が真剣に検討されているが、まだ確実な解決法が見いだせていないのが現実である。

 有人火星探査では、長期間…おそらく往復で数年間宇宙空間に滞在することになる。

 現在まで宇宙飛行士が宇宙で過ごした期間の最長記録は、1995年3月に地球に帰還したロシアの宇宙飛行士、ワレリー・ポリャコフ宇宙飛行士の438日である。

 これでも、現在の宇宙ステーションの標準的な滞在(大体は半年間である)に比べれば大変長いものであるが、有人火星探査の場合、その2倍以上の時間を宇宙空間で過ごさなければならない可能性が高い。そのような長期の宇宙空間滞在で人体にどのような影響が出てくるのか、まだわかっていないことはあまりにも多い。前述の放射線の問題はもちろん、長期にわたる無重力あるいは低重力が肉体的な側面に与えるダメージはかなり大きなものとなるだろう。