近くにアジトがあった 


 白バイ警官を装った男が走行中の現金輸送車から三億円を奪い、忽然(こつぜん)と消えた。昭和四十三年十二月のことだった。当時とすれば破格の被害額もさることながら、計算しつくされた手口はさまざまな推理を呼び、国民を「一億総探偵」とした。だが、十一万人余りが容疑者リストに上ったという捜査にもかかわらず、戦後最大の迷宮事件になった。今、犯人はどこで何をしているのだろうか。

 「犯人の知られざるアジトが国分寺市の恋ヶ窪にあった。そこで奪った現金をトランクから何かに積み替えたのだ」

 三億円事件の発生からすでに二十五年余り。時効になった今も、特定の地名を挙げてひとつの確信にこだわり続ける元捜査員がいる。

 事件二カ月後の昭和四十四年二月から四十五年五月まで警視庁捜査一課係長として特別捜査本部に詰めていた元同一課長、斎藤訓正=のりまさ=(六七)だ。「恋ヶ窪」とは、東京の西郊、国分寺市のほぼ中央部、JR中央線国分寺駅の西北部に位置しており、地名で言えば東恋ヶ窪と西恋ヶ窪に分かれる。

 斎藤がその「恋ヶ窪」にこだわるのはなぜか。

 三億円事件には、犯行の痕跡、遺留品が残された「現場」が四カ所ある=図参照。

 第一現場は事件が発生した府中市栄町の府中刑務所裏の通称学園通り。犯行に使われた偽の白バイ、ハンチング、発煙筒の燃えがらなどが残されていた。第二現場はそこから約一・三キロ北に離れた国分寺市西元町の武蔵国分寺跡(本多家墓地)で、奪われた現金輸送車が乗り捨てられていた。

 現金輸送車が出発した日本信託銀行国分寺支店から第一現場へ向かう途中で、輸送車見張り用の草色のカローラが発見されたのが第三現場。そして四カ月後の四月九日、長期間放置されていた濃紺のカローラ(逃走用)から、ジュラルミンの空トランク三個が発見された小金井市本町団地の駐車場が第四現場だ。

 斎藤はこの四現場のほかに必ず犯人のアジトがあったと強調する。

 「犯行現場離脱を急ぐ犯人は、第二現場から真っすぐ第四現場へ向かったというのが定説だが、いったんは小金井とは逆方向に向かったのを、近くの親子連れが目撃している。つまり、犯人は右折しても左折しても大差ないところへ行こうとしていた。それは地理的に恋ヶ窪しかない」

 犯人の車を目撃したのは国分寺市東元町の農業、本多正一(七七)と達雄(四六)の親子。犯行当日の十日午前九時半ごろ、車で東へ向かっていた二人は、丁字路になった現場(図参照)で右(南)方向から方向指示器をつけずに突っ込んでくるカローラを見つけ、曲がり角の前に車を止めた。

 十二月としては珍しい土砂降りで、辺りは暗い。達雄は、座高が高く顔の長い男がカローラの運転席に身体を斜めにするように座っていたのを記憶している。「一度は左折しようとしてわれわれの車にぶつかりそうになり、いったんバックし、今度は右折して猛スピードで去っていった」

 斎藤は、この「出合い頭」をもっと重視するよう捜査会議で何度も主張した。しかし、発生直後の有力情報のはんらんや、捜査上の余裕が少ないとの理由でなかなか受け入れられなかったという。

 しかし四カ月後、第四現場で発見された車内に残されたトランク内には親指大の泥が付いていたことが分かった。現金を抜き取った場所の土が付着したとしか考えられない。斎藤は、さらに推理を進める。

 「真っすぐ小金井に向かったとすると、第二現場の本多家墓地のほかに泥が付く場所はないが、泥の種類が全く違った。恋ヶ窪のアジトで金を地面か大きな袋かにぶちまけた際、トランクに泥が入ったとは考えられないか」

 泥は四十四年十月、警視庁科学捜査研究所で調査したところ、府中、小金井などのものとは明確に異なっており、泥中から見つかったケヤキなどの木の実や葉などから国分寺市の土と類似していた。また樹齢二十年以上の大きなケヤキがある場所だということも分かった。

 さらに東京原子力産業研究所(川崎市)でアイソトープを使って精密鑑定した結果、翌四十五年三月末になって砂、鉄分の量が恋ヶ窪の雑木林のものと酷似していた。

 恋ヶ窪地区は日本信託銀行国分寺支店に近い。当時はまだ、雑木林や空き地も多かった。また、府中刑務所からは約四キロしか離れておらず、第四現場にも車で七、八分でいける。

 そうした事実を踏まえ、斎藤は「小金井に運んだカローラの中で現金をトランクから抜き取ったという説も根強かったが、車中は狭いし無理があった。恋ヶ窪のアジトで作業を済ませ、空きトランクごと小金井に捨てにいったのだ」と推理する。

 捜査本部は遅ればせながら恋ヶ窪地区に重点を置き、大きなケヤキのある屋敷、学校などを中心に地取り、聞き込みを行った。だが「これというものは出なかった」(幹部捜査員)。

 “アジト”はとうとう発見されなかった。捜査員の中にも「(恋ヶ窪重視論は)推測の域を出ないのでは」という声があった。

 だが、「捜査初期は情報、捜査材料が多過ぎ、本当のポイントを見逃しかねない状態に陥っていた」という斎藤の胸中には、もう少し早く「恋ヶ窪」に目をむけていたらとの思いがよぎる。同時に「自分の捜査方針が正しかったのかどうか、今となっては分からない」ともいう。

 【三億円事件】 昭和43年12月10日、日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車が東芝府中工場の従業員のボーナス2億9434万1500円を輸送中、府中市栄町の府中刑務所わきの路上で偽の白バイ警官に停止を命じられた。白バイ警官に化けた犯人は「支店長宅が爆破された。この車にも爆薬が仕掛けられたという情報があるので調べさせてもらう」と乗っていた運転手ら四人を下車させ、四人が避難したスキに現金を積んだ車ごと逃げた。事件は昭和50年12月10日、刑事時効、63年同日に民事時効を迎えた。