宮崎学(作家)

グリ森事件? あれは顔が似てただけですよ


 グリコ・森永事件(以下、グリ森事件)と僕の関係は一言で言ってしまえば、犯人と顔が似てたということだけなんです。だから、僕とあの事件とは一切関係がない。今も公開捜査をすれば、いろんな情報がバーッと飛んでくる。グリ森事件についても、数ある情報の中の一つに過ぎなかったんだろうと思うんですよね。警察側に立って考えれば、寄せられた情報はみんな洗わざるを得ない。そんな状況下で、僕がかつて学生運動をやってたわ、実家はヤクザで解体屋をやってるわ、金はそれなりに儲かってた時代があって、派手な生き方もしていたという、警察が抱く犯人像に近い人物のタレコミが飛び込んできたもんだから、彼らが色めき立つのも容易に想像がつく。でも実際に情報を洗ってみると、僕に前科前歴はないんだけども、どうもコレは学生運動をやってて左翼っぽいぞと。警察はその辺りも疑っていたのかもしれません。でも、僕の見立てでは、グリ森事件にはちょっと反社会的な複数の人間がかかわっている。脅迫電話には子供や女性の声が出てきたりするからね。1人や2人じゃなかったよね。

グリコ・森永事件 昭和59年3月18日に江崎グリコの社長が誘拐された事件に端を発する、一連の食品企業恐喝事件。「かい人21面相」を名乗る犯人グループは、その後、青酸化合物を混入した製品を店頭にばらまくとして、企業に現金などを要求。一方で報道機関に警察を揶揄する挑戦状を送りつけ、“劇場犯罪”という言葉を生んだ。犯人グループは60年8月に突然、終結宣言を出して動きを停止。平成12年2月に28件すべての事件で時効が成立し、警察庁指定事件で初めて未解決となった

 「劇場型犯罪」の走りといわれたグリ森事件とは結局何だったのか。そもそも「劇場型犯罪」という括り方自体が間違ってると思う。あれは犯人がカモフラージュのために「劇場型」にしたわけで、犯罪を劇場化に仕立てて楽しむ犯罪者なんているはずがない。カネという最大の目的があるから罪を犯すわけで、愉快犯的にやるのは極めてリスクが高い。だから僕は劇場型犯罪という見方そのものが間違いで、何らかの経済的な犯行理由がそこにはあって、つまりカネのためにやったんだと思っています。劇場型にしたのは、あくまで犯行をカモフラージュして捜査をかく乱させるためだったにすぎない。劇場型とか言って、いまだ語り継がれていること自体、まだあの犯人グループの手の中で踊らされている、そんな気がしてならない。当時も今もマスコミや世間が劇場型犯罪だと思っている時点で、一生「犯人」にたどり着くことはないでしょうね。犯人のかく乱に、まだ乗せられてしまっていると言えるんじゃないかな。
宮崎学氏
宮崎学氏
 警察は金の要求とか受け渡し方法とか、警察のやり方で捜査をするわけじゃないですか。その時に「なんだろうコイツ? 本気で考えとるんだろうか」っていう捜査の見立てが、まず最初の大きな壁として立ちふさがる。あの種の恐喝事件は、金の受け渡しの時に犯人が逮捕されるというパターンが多いですから。犯人側にすれば、金の受け渡しはどうするか、金は要求しただけ出るとも限らないから、まずは多めにふっかけておけばいいとか、いろんなことを考えて要求したんでしょう。あの時も「現金10億円と金塊100キロ」なんて途方もない要求でしたからね。犯人グループは警察捜査の裏を読むというか、そういうことがわかっていた連中で、ある意味「商売人」だったんだろうなと思います。少し知識のある人間だったら、警察無線の傍受なんか簡単にできることも知ってるでしょう。警察は自分たちがやっている科学捜査は、犯人には全く知られていないとか、そもそも捜査をかく乱できるような連中じゃないと思っていたんでしょう。事実、江崎社長を真っ裸にして放り出したりするような結構手荒いタタキ(強盗事件)でしたからね。でも、それは明らかに初動捜査の見込み違いだった。犯人はかなり知的水準の高い人物という見立てでやっていれば、また違った局面になってたんだろうと思いますね。別にグリ森事件に限った話ではないけど、初動捜査のミスがずーっと後まで響いたわけですね。