村上祐資(極地建築家)

水平線の向こう側にあるもの


 ニッポンは島国だ。僕らの目の前に広がるこの広い海原を、「隔てる壁」あるいは「繋がる道」ととらえるのか。

 2014年12月、僕は7名の「模擬」火星飛行士のクルーの一人として、ユタ州の砂漠で訓練を積んでいた。ここは「地球にある」火星だ。米国の、古くからある民間による有人火星探査リサーチ財団である『Mars Society』。その老舗団体が2000年から、Mars Desart Research Station、通称『MDRS』という「模擬」火星基地をこの地に建設し、「本気の火星ごっこ」を行っている。僕は『Mars Society』が次に計画している『Mars Arctic 365』という北極で行う1年間の、長期「本気の火星ごっこ」計画に、アジア人でただ一人、クルー・ファイナリストに残っている。そしてその選考試験の一環として、アメリカ人3名、イギリス人1名、フィンランド人1名、ブラジル人1名、日本人1名で構成されたチームでMDRSの施設を使用して、約2週間の「模擬火星生活」訓練を経験した。
(村上祐資氏提供)
 すでに南極で1年半の越冬経験を積んでいる僕は、必要以上に肩の力を入れずに「火星飛行士」としての日々を過ごしていた。だからだろうか、次第に他のクルーたちから一目置かれる存在になっていった。一方そんな僕は「こいつは敵わないな」、そう思わされるような根本にある意識の違いを、彼らから見せつけられていた。それは彼らがいつも「水平線の先に見ているもの」。彼らは島国ではなく、大陸に生きているからだろう。彼らにとっての『火星』とは、本当に水平線のすぐ向こう側にある場所なのだ。ただ一歩、一歩と、歩を進めて行きさえすれば、必ずやたどり着ける場所なのだ。

 だから彼らは火星までのプロセスを、課題を解決し、消去していく道のりとして捉えている。はっきりと、火星をゴールとして見据えている彼らには、目の前には道がある。僕ら日本人の多くは、火星の地にひとが立つなんてことを、リアルに感じていやしない。科学者だって、火星を「説明できる」だけにすぎない。自分がそこに立っている姿を、現実に起こり得ることとして「イメージできる」そんな日本人がいったいどれだけいるのだろう?見えない海を想像し、宇宙船という渡し舟を持たぬ限り、まさかその先へ行けるとは思ってはいまい。あるいは少しばかり水際で遊んでみる程度だろうか。僕でさえそうなのだ。日本人にとって火星は、月のようには、身近な存在にはなっていない。残念だけど、火星にかぐや姫はいないのだ。

行きたい、よりも留まる力


 火星飛行士に必要な資質はなんだろうか。まちがいなく、火星行きの発射台に立つまでに必要な資質とは、どんなことがあろうと「行きたい」と思い続けることができる能力だ。いかなる困難を前にしても前進することができるタフなやつ、「サバイバル能力」と言い換えてもいいだろう。僕自身も、これまで幾つかの選考を経験してきたが、「選考する」側が求める基準の一つにこの「サバイバル能力」があるであろうことが、選考試験で問われる項目の向こうにも透けて見えた。ここに落とし穴がある。火星飛行士が火星に降り立ってから必要となる資質は、前進する能力ではなく、そこに「留まる能力」なのだ。