岡山市北区の林原美術館が所蔵する古文書から「本能寺の変」にかかわった戦国武将たちの書状が新たに確認された。明智光秀が決起する遠因として、土佐の長宗我部元親をターゲットとする四国攻めを回避する意図があったことを証明する歴史的新発見だった。文書を掘り起こした同館学芸課長の浅利尚民さんに発見の経緯などを聞いた。

石谷家文書外観(箱、三巻の外観)=一般財団法人・林原美術館のプレスリリースより

 学芸員として林原美術館につとめて14年。今回ほどびっくりしたことはありません。本能寺の変で主君の織田信長を討った明智光秀。「石谷(いしがい)家文書」には、その重臣である斎藤利三に宛てた長宗我部元親の書状があり、四国攻めを回避するため信長に同心しようという元親の心情が浮き彫りになっていました。

 まさか、当館の所蔵品にこれほど重要な史料があったとは。共同研究している内池英樹氏(県立博物館学芸課主幹)と読み進めても、最初は実感がわかなかったのですが、次第に「とんでもないことになる」と思うようになりました。今回の発見には、多くの偶然が重なっています。史料を見つけたのは昨年の9月、開館50周年の企画展のための調査過程でした。

 ちょうどそのころ、内池さんが高知県立歴史民俗資料館と「長宗我部氏と宇喜多氏」という展覧企画を進行中。元親が専門の野本亮・学芸チーフと既に面識があり、協力いただけることになったことが大変ありがたかったです。元親研究はやはり高知が最先端ですから。そうでなければ、こんなスムーズに内容確認はできなかったでしょう。

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長宗我部元親書状(斎藤利三宛) 天正10年(1582)5月21日=プレスリリースより

 研究を重ねて、発表にメドがついたのが、旧暦6月2日(本能寺の変)の直前というのが偶然なら、大河ドラマがちょうど変の前後をなぞっているのも偶然です。こわいぐらいの偶然が重なって今回の発見と発表になりました。今でも信じられないくらいです。

 今回の「石谷家文書」は当館の所蔵品の柱の一つである林原一郎(故人)のコレクションに含まれていました。埋もれていたといっていい。おそらく入手はしたものの、ほとんど中身を見られることもなかったのかもしれません。豪快な方だったようですから。

それがここまできれいな状態で保存されていたのはすごい。発表の際にも話しましたが、文書は石谷家の親戚の斎藤家に伝わった可能性があります。春日局が出たように斎藤家は江戸時代に幕臣として存続していましたから。このような石谷家ゆかりの史料が、江戸期を通じて大切に保存されていたのは奇跡的なことです。本能寺の変にまつわるものばかり注目されますが、他の文書も全て新発見の一次史料です。(談)