ケント・ギルバート(米カリフォルニア州弁護士、タレント)

 日本国憲法はおかしいと多くの方が指摘します。日本語がおかしい、短期間に日本を無視して出来た押しつけ憲法だ、寄せ集め憲法、コピペ憲法、コラージュ憲法…と色々と評されます。どれも正しいと思いますが、完成した憲法条文の中に、明らかにおかしい箇所はそう多くありません。確かにおかしいが、世界の憲法に同じような規定があったりする。定め方、手続きに問題はあっても、出来上がった条文自体はそう悪いものではない。日本国憲法の規定を世界各国の憲法と比べても、おおむね遜色はない、ほとんどは妥当な規定が並んでいると私は考えています。

 ただし、致命的におかしい点が二つある。まず元首の規定がないこと。どんな組織でも代表者は必要です。国家でも当然です。代表者が明確でなければ、相手にも迷惑が掛かります。当時の事情は知っていますが、天皇が元首だとは憲法に書かなかった。明らかに元首なのに、「象徴」という言葉で誤魔化したわけです。

 そして、もうひとつは憲法9条です。何がおかしいかといえば、軍隊を否定している点に尽きます。

米国の憲法制定の過程


 そもそも憲法学は英国から始まっています。英国に文章化された「憲法典」が無いことはご存じだと思います。「憲法」がないのではありません。憲法の内容は慣習法や判例から自ずと導き出されるので、憲法の文章化にこだわる必要がないのです。

 米国は憲法を文章化しました。合衆国という新しい試みについて、連邦政府の権限を明文で規定する必要があったからです。北米大陸にあった十三の植民地が、英国から独立しました。それぞれが英国の不文憲法を受け継ぎ、独立国家のような状態でした。アメリカ合衆国ができたはずなのに、これではちゃんと国の機能が果たせない。各州の決まりはバラバラだし、州の境界線をまたがる貿易に関税を取ったり、連邦政府に税金を払わなかったり。独立戦争の時は結束したけど戦争が終わると、そうはいかない。それで統合機能を強化して連邦政府をもう少し強くしよう、すべての権限は原則として州に帰属するが、一部の権限は、各州から国を束ねる連邦政府に譲ろうということになった。これが最初の合衆国憲法です。よく読んでみると、それだけなんです。

 何を中央に譲ったか。外交と国防、それに郵便、州の境界をまたがる貿易のルールなどです。郵便は全国規模でやる必要がある。最初の憲法を見ると郵便は連邦政府の仕事だときっちり書いてあります。十年ごとの国勢調査も国の仕事になりました。

州に教育の権限を置く米国


 教育などの権限は今でも州にあります。道路も、国道は確かにありますが、国はお金を出すけど整備は州がやっているし、インターステートハイウェイという高速道路も、連邦政府の法律に基づいていますが、実際の建設を行うのは州です。

 カーター政権の時、連邦政府に教育省が出来ましたが、教育内容を管理するためではなく、国が出す補助金の管理のためです。国自体が各州の教育について発言する権限は、今でもあまり強くないのです。

 米国の学校では朝、必ず星条旗に宣誓しますが、これも州に委ねられています。テキサス親父ことトニー・マラーノ氏は国歌だけでなく、テキサス州歌も斉唱していたそうです。私の育ったユタ州は国歌だけでしたが…。