田久保忠衛(杏林大学名誉教授)

 視点の相違は弁(わきま)えておかなければならない。日本にとって東シナ海、南シナ海は死活的に重要だが、残念ながら欧米諸国の感覚は別だ。昨年、頻発したテロの中でもパリで2回、次いで米カリフォルニア州サンバーナディーノでの惨劇が与えた衝撃は日本のメディアでは分からない。米国もフランスもロシアも英国もイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)の根拠地に爆撃を加えているが、一般市民というソフトターゲットを狙ってくる敵を防ぐのにどれほど効果が上がったのか。

指導性欠如著しいオバマ大統領


 全体像を捉えにくいテロリストに各国の指導者が的確に対応できないうえに、シリアやアフガニスタンから難民が殺到してくる。難民受け入れ反対を唱えるフランスでは超右翼「国民戦線」のマリーヌ・ルペン党首が来年の大統領選挙を、米国では共和党のドナルド・トランプ氏が今年の大統領選挙をそれぞれ目指す事態になってきた。両者の動きは連動している。

 オバマ米政権に多くは期待できない。ロバート・ゲーツ、レオン・パネッタの2元国防長官が相次いで回想録を出し、その中でオバマ大統領を批判したと思っていたら、最近、チャック・ヘーゲル前国防長官が米フォーリン・ポリシー誌とのインタビューで、シリア政策をめぐる大統領との意見の相違があった事実を認めた。3人の前・元国防長官に一致しているのは大統領の指導性欠如の指摘だ。ただ事ではない。

 時系列で見ても大統領はシリアの内戦に介入すると言いながら、結局、行動を起こさなかった。その間にISが反体制派にもぐり込み、いまやシリアからイラクにまたがる広大な地域を実効支配し、自ら世界各地でテロを指示し、実行するに至る。

 居住地を狙うホームグロウンあるいはローンウルフ(一匹狼)などのテロは身近になった。移民で頭を悩まし、加えて難民の扱いで弱っているところに、1年間で2度の惨劇がフランスを見舞った。フランス人はどのような反応を起こすか。昨年12月にフランスで実施された2度の地域圏議会選挙で2回目には敗れたものの、1回目に「国民戦線」は大勝している。

危険なルペン・トランプ現象


 サンバーナディーノ銃乱射事件はパリにおける2度目のテロから3週間たっていない。トランプ氏は「移民、難民、旅行者を含めイスラム教徒の入国を当面、全面禁止する」との声明を出した。同時にオバマ大統領は「われわれはISを壊滅させる」とホワイトハウスの執務室から国民に向けて演説した。どちらに拍手が湧くか。トランプ氏の支持率は他の共和党候補を圧倒的に引き離している。

 ルペン・トランプ現象を、ポピュリスト政治家が巻き起こしている一時的な出来事と見るか、時代的背景を持つ危険な兆候と考えるか。米仏両国の良識がいずれ感情を抑えて熱は冷めるという人は多いが、希望的観測を述べているやじ馬にすぎないと思う。

 トランプ氏がホワイトハウス入りしたら、米国内の世論は真っ二つに割れるだろうし、移民、難民を入れて苦労をしている国々からの反発はすさまじいに違いない。ISへの応募者が爆発的に増える事態を想定しただけで世界中は大混乱に陥るだろう。

漁夫の利を得る中国


「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」の記念行事に出席した習近平国家主席(左)と江沢民元国家主席=2015年9月3日、北京の天安門(共同)
 昨秋、訪日した米外交問題評議会のリチャード・ハース会長が米国の弱点として、与党の民主党が上下両院で少数党になっており、野党の共和党は分裂していると語っていた。だれが大統領になるにせよ、オバマ政権で対外的に抑制的になった「内向き」の姿勢を「外向き」に転換しないと米国の威信はさらに落ちる。秩序維持の役を取り戻すにはかなりの年月を必要とする。その間に米国は知力と国力を国際テロリストとの戦いに注ぎ込まなければならない。

 世界が関心をISに移しているときに、漁夫の利を得るのは中国だろう。政治家の腐敗、環境汚染など庶民の不満の原因となる内臓疾患をいくつも抱える中国が、折からの経済不振も重なって東シナ海、南シナ海を利用し、国内ナショナリズムをかき立てる事態は現に進行しているではないか。

 中国が現在悪化している米国との関係を一挙に挽回しようと企てて、対テロ戦で米国に全面的協力を申し入れないとも限らない。9・11同時テロで中国は当時のブッシュ政権に中国がらみの国際テロ関係資料を手渡し、両国の雰囲気が急に改善された前例もある。

 国際テロが主権国家群を手玉に取って秩序を混乱させる暴挙にどう対応するか、主要国が死にもの狂いになっているのと対照的なほど、日本には危機感がない。

 大手新聞が昨年11月に実施した自民党の党員意識調査で、憲法改正を「急ぐ必要はない」と答えた者が57%だったという。国際情勢の大局が分かっていないか、世渡りのうまい回答ではないか。

 年頭の心配はこの一点だ。

たくぼ・ただえ 昭和8年、千葉県生まれ。外交評論家、杏林大学名誉教授。早稲田大学法学部卒。時事通信社でワシントン支局長などを歴任。59年に杏林大学教授、平成8年から現職。専門は国際政治。著書に『戦略家ニクソン』(中公新書)など。第12回正論大賞受賞。