上昌広(東京大学医科学研究所特任教授)

 どうやって老後を送るか。わが国が抱える深刻な問題だ。

 『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』(藤田孝典著)は、2015年を代表するベストセラーとなった。我が国では現在約600万人の高齢者が一人で暮らし、そのうち半数は生活保護レベルだと言う。

 高齢化が進むわが国で、事態は益々悪化する。どうすればいいのだろう。

 13年の年末、英国医学誌(BMJ)の元編集長であるリチャード・スミス氏の「癌で死ぬのが最高の死に方」という文章が発表され、議論を呼んだ。

 スミス氏は自殺を除く死に方を、突然死、癌死、痴呆死、臓器不全死の四つに分けた。そして、その優劣を考察した。

 スミス氏が最悪の死に方と断じたのは「痴呆を抱えながら、長い時間をかけて、ゆっくり死ぬ」ことだ。家族や友人のこともわからなくなり、便や尿を垂れ流しながら、生きながらえることを望む人はいないだろう。

 特に、この傾向は米国で強い。なぜなら、米国では生き長らえるのにも金がかかるからだ。

 痴呆が進むと、自宅で生活するのは難しくなる。どこかの介護施設に入らなければならないが、ケアのレベルは金次第だ。24時間介護つきのナーシングホームの介護施設の年間費用は平均6万ドルとされ、都市部では10万ドルを越えるところもある。

 介護費用は年間5%以上の勢いで値上がりしている。それは、米国が高齢化しているからだ。

 12年現在の米国の平均寿命は男性76.4才、女性81.2才。85年と比較して男性は5才、女性は3才程度伸びた。

 この結果、要介護者が激増した。今や米国の65才以上の半分が長期的な介護が必要だと言う。介護サービスの供給が追いつかない。

 これでは長生きするのも考え物だ。多くの米国人が「何とかして、認知症にならずに一生を終えたい」と願っている。米国在住の大西睦子医師は「今や米国は認知症狂想曲と言っても良い状況」と言う。この状況を克服すべく、官民挙げて、様々な試行錯誤が繰り返されている。

 米国政府は認知症、特にアルツハイマー病対策に力を入れ、巨額の予算を費やしてきた。例えば、13年2月、オバマ大統領は「BRAINイニシャティブ」という脳研究の巨大プロジェクトを発表し、15年度はアルツハイマー病の研究助成を目的に、国立衛生研究所に302億ドルを予算配分した。

 民間でも議論は進んでいる。認知症に安楽死を認めるべきかについては、既に合法化されているオランダ、ベルギー、ルクセンブルグの状況を参考に、議論が始まっている。

 さらに遺伝子検査を利用して、認知症のリスクを評価しようという動きも拡がっている。勿論、認知症のような多因子が絡む疾患に対する遺伝子検査の有効性は未確立だ。検査結果を貰っても、一般人には真贋を判断する基礎知識がなく、過剰反応を起こしがちなことは日本と同じだ。

 ただ、議論が進み、冷静に行動する人たちも出始めた。このような人たちの中には、遺伝子検査の結果を見て、具体的に動き出した人もいる。

 ハーバード大学の遺伝学者であるロバート・グリーン教授は、アルツハイマー病になりやすい遺伝素因を持っていた人の行動を研究したところ、このような素因を持たない人と比較して「長期介護保険」の加入率が5倍も高かったという。

 「長期介護保険」とは米国の民間介護保険である。障害者向けの国営保険であるメディケイドを除いて、米国には国が運営する介護保険はない。認知症のリスクが高いと分かれば、自ら備えるしかないのだ。何事も自己責任という米国らしい話だ。

 問題もある。遺伝子差別禁止法があるものの、アルツハイマー病の遺伝素因を持つ人が、より高い保険料を支払わねばならなくなったり、「長期介護保険」への加入を拒否される可能性が否定出来ないからだ。

 認知症の特効薬や予防薬はなく、現在の研究の進行状況を考慮すれば、近い将来に認知症が克服される可能性はほぼ皆無だ。前述の安楽死、遺伝子検査の何れも、認知症自体は予防できない。