岡部伸(産経新聞ロンドン支局長)

攻撃を示唆する「質問表」


 日本が真珠湾を攻撃して日米が開戦してから十二月八日で七十四年になる。
 真珠湾攻撃の報を聞いた英国の首相、チャーチルは日記に、「これで我が国は救われた気分になり、感謝に満ちた心でグッスリ眠った」と書いている。

〈十七カ月の孤独の戦いと恐るべき緊張の後、真珠湾攻撃によって我々は勝ったのだ。イギリス連邦とイギリス帝国は生き残るだろう。我々英国の歴史が終わりはしない。ヒトラーの運命は決まった。日本人に至っては微塵に打ち砕かれるであろう〉

 米国の本格参戦で勝利を確信したチャーチルが驚きよりも感謝して安眠したのは、まるで日本の真珠湾攻撃を察知していたかの如き反応だった。日本の最高機密だった真珠湾攻撃情報をチャーチルは知っていた──。そんな疑念が戦後七十年を経過した今日、広がっている。

日本軍の“奇襲”に炎上する真珠湾の米軍基地
日本軍の“奇襲”に炎上する真珠湾の米軍基地
 ロンドン郊外キューガーデンにある英国立公文書館には英国が真珠湾攻撃の兆しをんでいたと推察される機密文書があった。英国内での外国スパイや共産主義者らの摘発などカウンター・インテリジェンス(防諜)を行う内務省管轄の情報機関、MI5(情報局保安部)の防諜担当部署、セクションBのトップ、ガイ・リッデル副長官が著した日記に大戦中、暗躍した英独の二重スパイが日本軍による真珠湾攻撃の可能性を事前に察知し、MI5が把握していたと見られる記述があったからだ。

 真珠湾攻撃から九日後の日記に、二重スパイが奇襲四カ月前にドイツ側から真珠湾と米艦隊などを偵察するように指示された「質問表」(調査リスト)を「われわれ(MI5)は所有している」と記していた。これはMI5が日本軍による真珠湾攻撃の可能性を示唆する秘密情報を得ていたと解釈できる。二重スパイは回顧録で、米FBIにも真珠湾奇襲情報を伝えたが、ジョン・フーバー長官が握り潰したと告白している。

五人の二重スパイ


 まずは連合国を勝利に導いた英国の「ダブル・クロス」(二重スパイ)制度について紹介したい。

 第二次大戦の帰趨を決した連合国軍の「ノルマンディー上陸作戦」成功の背後には「フォーティチュード作戦」と名付けられた史上最大の欺瞞作戦があったことはあまり知られていない。ドイツのスパイを二重スパイに変える「ダブル・クロス・システム」で英国のスパイになった五人の二重スパイが上陸目標地点を英本土から最も近いパ・ド・カレー地方との偽情報をベルリンに送り、ドイツ軍をカレー地方に足止めさせる策略だった。

 英国のインテリジェンスに通暁した元タイムズ紙コラムニストでノンフィクション作家のベン・マッキンタイアーによると、英国に存在した全てのドイツのスパイ(約三十九人)を二重スパイに仕立て上げ、ドイツに対して戦略的に欺瞞情報を送り続ける作戦は、MI5(情報局保安部)の防諜部門、セクションBの将校・通称「ター」ことトミー・アーガイル・ロバートソンが発案し、彼をリーダーにスタートした。第二次大戦でナチス・ドイツが初めて大敗を喫する「バトル・オブ・ブリテン」が始まった一九四〇年九月ごろのことである。

 そして翌四一年一月には、その活動を監督、調整する極秘組織として二十(XX)委員会が設立され、委員長にはオックスフォード大学の歴史家、ジョン・マスターマン卿が就任する。委員会は陸、海、空軍の各情報部の部長と、MI5、英外務省管轄の通称「MI6」、秘密情報部(SIS)、本国部隊及び本土防衛隊の各代表で構成され、毎週木曜日にMI5本部で会合を開き、二重スパイを活用する戦略や敵側に与える餌(少しだけの無害で真実を確認できない偽情報)を、総力をあげて練り上げた。「チキン・フィード」と呼ばれた敵に流す偽情報の「餌」を国家総出で考案して諜報戦に臨んだところにインテリジェンス大国の真髄がみてとれる。それは大戦の勃興期から始まり、終戦まで続けられた。