その夜、ちゃぶ台の上に20センチほどの小さな鯛が置かれていたという。一家そろっての最後の夕餉。翌朝、学校へ行く息子を父は珍しく玄関まで見送った。「行ってまいります」「行ってきなさい」。この短い会話が父・山本五十六と長男・義正氏が交わした最後の言葉だった。

 「私と父は、互いにもう二度と生きて会えないことを知っていました。私は父の視線を背中に感じながら玄関を出たんです。けっして振り向くまいと自分に言い聞かせながら…」(義正氏)

 山本五十六・連合艦隊司令長官率いる日本海軍が、ハワイの真珠湾で米太平洋艦隊を攻撃するのはその3日後、昭和18年12月8日のことである。瀬戸内海に停泊中の旗艦長門で「攻撃成功」の第一電を受けた山本は、その戦果を祝して次のような和歌を詠んだ。

 《突撃の 電波は耳を 劈きぬ 三千浬外 布哇の空より》

ラバウル基地で兵士を見送る連合艦隊司令長官、山本五十六。生前最後の写真=「昭和」(講談社)より
 成功を喜び祝う五十六だが、じつはこのとき一つの心配事があった。攻撃前に対米最後通告が確実に届いているのかどうか。このことは開戦前から何度も確認したが、結局、開戦通告は真珠湾攻撃の後になり、日本は「騙し討ち」の汚名を着せられることになる。

 「長岡藩の武士として育った父にとって『騙し討ち』という評価は最も嫌なものだったはずです」(義正氏)

 しかし、アメリカは開戦前に真珠湾攻撃を察知していたという説が根強くある。ルーズベルト大統領はそれを知りながら日本を戦争に誘い込んだというアメリカ陰謀論だ。陰謀の真偽はともかく、少なくとも、アメリカは真珠湾攻撃前に日本の暗号電報を傍受・解読していた…こう断言するのは戦史研究家の原勝洋氏である。

 「真珠湾攻撃の1週間前、日本の外務省は『暗号機の破壊およびコード表の焼却』という内容の外交電報を在米大使館に打電しています。暗号の焼却という指令は、開戦が間近に迫っていることを示しているわけですが、じつはこの暗号電報さえ、アメリカは解読していたんです。米軍は日本外務省の暗号機を模造した『パープル』を使って暗号を傍受・解読していたのです」

 原氏がアメリカの公文書館で調査したところ、米議会の『真珠湾調査合同委員会記録』には、7月1日から開戦までに227通の日本の機密電報が傍受・解読されていたことが記録されているという。

 「それだけではありません。外交電報だけでなく、より重要な日本海軍の暗号まで真珠湾攻撃前にアメリカは解読していたんです」

 その証拠文書を、このたび原氏がアメリカで発見した。これは終戦後に米海軍通信機密保全課が作成した文書で、そこには「真珠湾攻撃前に旧日本海軍の暗号を解読した」という一文が明記されていたのだ。

 「文書には’39年(昭和14年)夏から解読開始とあります。アメリカは開戦の1年3カ月前から日本海軍の暗号を断片的に解読していたわけです」(原氏)

 となると、やはりアメリカは真珠湾攻撃を事前に察知しながら、知らないふりをして日本を戦争に誘い込んだ可能性が出てくるのだ。

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