この8月、SMAPのリーダーの中居正広(40才)が、メンバーの中ではいちばん早く40才を迎えた。40才でありながらいまなおアイドルとして活躍している中居だが、SMAPが結成されてからの25年間は、長年、華やかな表舞台で活躍してきた中居のイメージとは異なる苦悩の日々だった。

 1991年9月、『Can’t Stop!! -LOVING-』で、結成から3年目にして、ようやくCDデビューを果たすが、ここでも大きな挫折を味わう。それまで、ジャニーズアイドルのデビュー曲のオリコン初登場1位は当たり前だったが、この曲は前代未聞の初登場2位となってしまったのだ。さらにライブをやっても、空席ばかりが目立った。

 また『歌のトップテン』『夜のヒットスタジオ』『ザ・ベストテン』など名だたる歌番組が次々と終了、活動の場も少なくなった。そんな状況に中居は「自分たちも、いつ解散してもおかしくない」という恐怖を感じていたという。中居は過去のインタビューで、当時のことをこう語っている。

「光GENJIと同じ衣装を着て同じような楽曲を歌っても仕方ない。ぼくらはいままでのアイドルが誰もやってこなかったことに挑戦していかないとだめだと思った」

 彼らの決定的な転機となったのは、バラエティー番組『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)へのレギュラー出演だった。

『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の前身となる同番組では、当時のアイドルとしては異例ともいえる本格的なコントに挑戦した。中居も女装やハゲヅラ、コスプレなどを披露して話題を呼び、一気にSMAPの名前は広まっていった。

 そうした日々の中で、中居は、将来を見据えて新たな目標を心に決めたと8月11日放送のラジオ番組『中居正広のsome girl’ SMAP』(ニッポン放送)で明かしている。
「しゃべれるアイドルになろう。まずSMAPの中でいちばん、そしてジャニーズの中でいちばんおしゃべりができるようになろうって思ったんだ」

 当時の中居を知るテレビ局関係者が振り返る。

「あの当時の中居さんは、“二番手でも三番手でもいいから、とにかく司会をやらせてほしい。大阪の番組やBS、朝の情報番組のアシスタントでもいいから、しゃべる仕事をやらせてほしい”って、自ら積極的に事務所に訴えていました」

 その甲斐あってか、中居は『中居正広のボクらはみんな生きている』(フジテレビ系)、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)など、テレビ・ラジオを問わず、さまざまなMCに起用され、25才のときには史上最年少で『NHK紅白歌合戦』の司会にも抜擢された。

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