【精神科女医のつぶやき】


片田珠美



 タレントのベッキーさんと人気バンド「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音さんの不倫スキャンダルが報じられた。

 この2人は、離婚届を「卒論」と称していたらしいが、この2つにはたしかに共通点がある。自分で書いて提出することはできても、向こうが受理してくれなければ、離婚も卒業もできないという点で似ており、なかなかの言語センスだ。

 2人ともかなり叩かれているようだ。とくに川谷さんのほうは、交際当初は独身を装っていたとか、結婚して初めての正月に妻以外の女性と一緒に実家を訪問したとかで、「ゲスの極み」と非難されている。

フリーライブで盛り上がるゲスの極み乙女。の川谷絵音=東京・代々木(撮影・斎藤浩一)
フリーライブで盛り上がるゲスの極み乙女。の川谷絵音=東京・代々木(撮影・斎藤浩一)
 こうしたふるまいを擁護するつもりは毛頭ないが、作曲家の三枝成彰氏が『大作曲家たちの履歴書』(中公文庫)で述べているように「偉大なアーティストになるには大悪人でなければならない」のは否定しがたい事実だ。

 その代表として三枝氏が挙げているのは、作曲家のドビュッシーである。何しろ、下積み時代を支えた女性を2人もピストル自殺未遂に追い込んだのだから、三枝氏が「稀代の悪人」と呼ぶのも当然だろう。

 傑出した作家や芸術家の伝記を読んでも、「こんなとんでもない奴が、どうしてあんな素晴らしい作品を生み出せるのか」と驚くことが少なくない。なので「偉大なアーティスト」が「人格者」として紹介されている記事なんかを読むと、巧妙なイメージ戦略で悪人の部分を隠しているか、富も名声も得てガツガツしたところがなくなったかのどちらかではないかと勘ぐりたくなる。

 それでは、悪人であることが「偉大なアーティスト」になるための条件であるのはなぜなのか。三枝氏によれば、“心のきれいな人間”では「屈折感や心の奥のひだに食い込むような魔術的な毒のある」ものを作り出せないからということだが、同感だ。

 もっとも、悪人であることは、素晴らしい創造活動をするための必要条件ではあっても、十分条件ではない。そのへんを勘違いして、他人を踏みつけにしても何とも思わないような自称「アーティスト」が、結構いる。やはり、才能と努力が伴わなければ、「偉大なアーティスト」にはなれないのだ。

 ドビュッシーには及ばぬにせよ、悪人の素質が川谷さんにはありそうだ。これからは大悪人になるべく精進していただきたいものである。


かただ たまみ 昭和36(1961)年、広島県生まれ。大阪大医学部卒、京都大大学院人間・環境学研究科博士課程修了。他の著書に『無差別殺人の精神分析』(新潮選書)、『一億総うつ社会』(ちくま新書)、『なぜ、「怒る」のをやめられないのか』(光文社新書)、『正義という名の凶器』(ベスト新書)、『他人の支配から逃げられない人』(同)、『他人の意見を聞かない人』(角川新書)など。