大相撲一月場所で大関・琴奨菊が初優勝を飾った。10年ぶりの「日本出身力士」の優勝とあって、久々に日本中がお祭りムードに沸いた。
 今場所は幕内だけでなく、十両、幕下、三段目、序二段、序の口まで含め、全段で日本人力士が優勝した。平成15年7月(名古屋)場所以来、12年半ぶりという、もうひとつの快挙も果たされた。

 それにしても、なぜ10年もの間、日本出身力士が優勝できなかったのか? それを変える努力はあったのか? 平成18年1月場所で大関・栃東が優勝して以来、日本出身力士の優勝は久しくなかった。この間59場所、優勝杯を胸に抱いたのは圧倒的にモンゴル勢で計56回。他に琴欧洲、把瑠都が1回ずつ。モンゴル勢の内訳は、朝青龍9回、白鵬36回、日馬富士7回、鶴竜2回、旭天鵬1回、照ノ富士1回。全部足して58にしかならないのは、途中、八百長疑惑による開催中止がひと場所あるからだ。

豪栄道を破り、日本出身力士として10年ぶりに優勝を果たした大関、琴奨菊=1月24日、東京・両国国技館
豪栄道を破り、日本出身力士として10年ぶりに優勝を果たした大関、琴奨菊=1月24日、東京・両国国技館
 この内訳を見れば、「日本人力士が優勝できなかった」最大の理由のひとつは「白鵬がいた」「白鵬の全盛時代だった」ことが挙げられる。それにしても、その白鵬を止めた力士もまたモンゴル勢だったことは、古くから相撲に親しみ、日本人力士が中心となって展開する大相撲を望むファンには忸怩たるものだった。

 それにしてもなぜ、日本人力士はこれほど長い間、賜杯を胸に抱けなかったのか。

 素質のある人材が角界に身を投じない、という現実が第一の理由だろう。かつて、身体の大きな少年は、有無を言わさず相撲部屋が誘っていったような歴史がある。周囲もまた、彼らの角界入りを当然のように思い、背中を押した。いまはそういう世間の雰囲気は失われている。それは、相撲界に対する理解が変わっていること、少年たちにとって相撲が魅力的に見えないからだろう。若貴人気(若乃花、貴乃花)で相撲界が賑わっていたころ、日本人入門者の数は多かった。ところが、若貴が何かとスキャンダラスな話題を提供し、相撲の社会的イメージが低下するのと呼応するように、日本の少年たちは相撲界に目を向けなくなった。野球だけでなく、サッカーの人気上昇と定着がある。さらに、オリンピックへの関心がますます高まる傾向があって、五輪種目でない競技が新しい競技者の獲得ができにくくなっている。そうした世相の中で、ふんどしひとつで土俵にあがる気恥ずかしさもあってだろう、相撲は「憧れ」の対象ではほとんどなくなっている。

 野球界では、親子でキャッチボールをしたことのない父子が増えていると嘆かれている。これが野球人口の減少に影響を与えている可能性は大いにある。同じように、父親と相撲を取ったことのない子どもも増えている。すでに、父子で相撲をした経験のない世代が父親になっている。

 いきなり報酬の話を持ち出すのは恐縮だが、相撲界は、決して待遇の悪い世界ではない。力士は相撲協会から毎月お給料をもらっている。その他に場所手当などあり、横綱の基礎収入は、年間3300万円以上といわれる。大関で約2800万円、三役になれば約二千万円。優勝賞金は幕内で一千万円。そのほかに、取り組みごとの懸賞金がある。力士は、給料をもらった上に、一番ごとに賞金が稼げるのだ。勝負の後、土俵上でもらう祝儀袋の中には、税金を引いた手取り金額三万円が入っている。白鵬は最高でひと場所545本の懸賞金をもらった。金額にすれば1635万円だ。これら収入だけで一億円は越える。加えて、様々なご祝儀、広告出演料など入れたら、他のスポーツと比較しても高い方だ。