小林信也(スポーツライター)

 清原逮捕のニュースに接し、胸の奥に穴があくような、悲しい気持ちに襲われた。
 球界を代表する選手が社会的に非難される存在になる、こんな悲劇はあってはならない。だが、防ぐことができなかった。
 まったく意外な知らせではなかった。恐れていたことが現実になった、そのようにも感じる。だからなお悔しく悲しい。

 現役時代から、清原はニンニク注射を常用していることで知られていた。その成分が合法で、ドーピング違反に問われるものでないため、批判も咎めも受けなかった。私はその注射を実際に処方していた平石貴久ドクターから直接、ニンニク注射の効用とどんな場面で清原に注射を施したか、聞いたことがある。
注射器を持つ平石貴久医師
注射器を持つ平石貴久医師

 巨人時代、膝などにケガを抱える清原選手は試合前に十分なウォームアップができない状態だった。終盤までフル出場できる体調でもない。だから、第一打席でホームランを打ちたい、それで自分の役割を果たし、存在をアピールしたい。ニンニク注射はその望みに叶っていた。うつとまもなく身体が熱くなり、精神的にも燃えてくる。平石ドクターは東京ドームに出向き、試合前にベンチ裏でニンニク注射をうったという。すると、第一打席にホームランを打つ確率がかなり高まったと話してくれた。

 その行為は法律にもドーピング規定にも違反しないが、「おかしい」と思うのが自然ではなかっただろうか。その時から清原は「依存していた」、何かに依存して結果を出すことに執着していたと言うことができる。

 今回の逮捕を清原の個人的な問題ととらえ、「転落した清原の心の闇」を探るような報道も出始めている。が、私はこれが清原個人の問題でなく、スポーツ界全体を覆う「依存症体質」という深刻な現象の発露だと感じている。誰もが覚醒剤にまでたどり着くとは言わないが、いまのスポーツ界が、依存症患者を量産する仕組みになっていることを、今回の出来事ではっきり認識する必要がある。

 結果至上主義が引き起こす〈負のスパイラル〉。勝てば官軍。勝つために(活躍するために)、頼れるものは何でも利用する。

 心技体を磨き、自分の内面を高め、覚悟を決めて実力を試す姿勢が失われつつある。

 「そんなことはない、選手たちは懸命な努力と精進を積み重ねている!」と反論があるかもしれない。
 その根性論自体、依存症ではないかと私は疑問を抱いている。

 高校野球のチームはたいてい週6日は練習する。野球だけでなく、もっと幅広く経験を積み、社会を学ぶ必要のある高校生が、野球の世界に閉ざされ、視野を狭くされる。それを日本中の高校球児が強いられている(ほとんどは義務的にそうなっている)。これは、高校の指導者たちが、「毎日練習しなければ甲子園に行けない」という妄想に縛られているからであり、「脇目もふらず練習に没頭することが心技体を鍛える必須の姿勢だ」という観念に怯えている、あるいは美化して盲信しているからではないだろうか。少しクールに眺めれば、それは立派な「練習依存症」だ。「甲子園だけが目的ではない」はずなのに「甲子園が唯一絶対の目標」のように信じられて変わらない日本の高校野球も、「甲子園依存症」から抜け出せずにいる。野球に限らず日本のスポーツ界は、組織全体が依存症体質であり(多くの競技はいまオリンピックに依存している)、その中で育つ選手たちが依存に導かれるのはある意味、当然の成り行きだ。