別冊正論25号『「樺太-カラフト」を知る』より



有馬哲夫(早稲田大学教授)

ことごとく根拠失う露首脳


 平成二十七年八月二十二日、ロシアのドミトリー・メドヴェージェフ首相が択捉島を訪問し、これに対して日本政府が抗議した時、彼はこう述べた。「日本とは友好関係を望むが、ロシアの領土と関係づけてはならない」。彼が「ロシア領土」と強調しているのは、日本の北方領土(国後、択捉、色丹、歯舞)のことである。
 同五月二十三日にもセルゲイ・ラブロフ外相が北方領土の返還を求める日本を次のように批判した。「日本は第二次世界大戦の結果に疑いを差し挟む唯一の国である。北方領土は第二次世界大戦の結果、戦勝国ソ連の領土となった。敗戦国の日本には返還を求める権利はない」
北方領土について強硬発言を続けるドミトリー・メドベージェフ露首相=平成27年8月22日、択捉島の水産加工場
北方領土について強硬発言を続けるドミトリー・メドベージェフ露首相=平成27年8月22日、択捉島の水産加工場
 歴史的事実に照らして、メドヴェージェフやロシアの外務省関係者が言っていることは、まったくでたらめである。彼ら自身それを認識していることは、「第二次世界大戦の結果、戦勝国ソ連の領土となった」という抽象的な言い方をしているところに表れている。はっきりした根拠があるのなら、どの国際協定、あるいは二国間協定にもとづいて、そういえるのかはっきり言えばいいだろう。だが、ロシア側は、以下で詳しく述べていく理由によって、かえって窮地に陥るのでそれができないのだ。
 「第二次世界大戦の結果」という言い方にも注目する必要がある。というのも、ここにもロシアの弱みが隠されているからだ。つまり、「第二次世界大戦によって」といえば、ソ連の対日戦争は、領土や利権目的の侵略戦争だったと認めることになる。事実、いわゆるヤルタ極東密約といわれるものによって、南樺太の「返還」、千島列島の引き渡し、満洲の利権獲得とひきかえに、日ソ中立条約に違反して、一方的に日本に戦争をしかけてきたのだから、まさに侵略戦争だったのだ。日本人にとって、ソ連による満洲侵攻ほど侵略戦争のイメージにぴったりなものはない。 

 ロシア側は、「アメリカとの約束」、つまりヤルタ極東密約に基づいて行ったものだと反論するかも知れないが、これもまたあとで詳しく述べる理由で、そうとはいえない。ここではっきりさせておくが、そもそもこの密約はフランクリン・ルーズヴェルト大統領がアメリカ議会に諮ることなく、秘密裡に結んだもので、「アメリカの約束」ではなく、「ルーズヴェルトの約束」でしかない。アメリカの政治制度を知っているソ連にその認識がないわけがない。そして、ソ連が恐れていた通りに、この「ルーズヴェルトの約束」は、アメリカ議会に破棄されて「アメリカの約束」になることはなかった。