敗戦日本にも適用の「領土保全」


 昭和天皇も東郷茂徳(当時外務大臣)ら重臣も、アメリカ側のスポークスマンである戦時情報局のエリス・ザカライアス大佐(本属は海軍)と国務長官代理のジョゼフ・グルーがラジオ放送を通じて大西洋憲章(いかなる国も前述の基本的権利を侵害されないとした)に言及しつつ次のように述べているのを何度か確認している。「日本が降伏しても、大西洋憲章にうたわれた権利は日本に保証される」。そこで、天皇と重臣たちは、ポツダム宣言を受諾しても国体護持が可能だと確信して、降伏に踏み切った。なにもかもあきらめて、すべてをなげだして、無条件降伏したのではない。

 とくに最後の領土保全は、他国から取ったのではない本来の領土は、たとえ戦争に負けても奪われることはないということをいったものだ。したがって、ポツダム宣言の条件にしたがえば、「第二次世界大戦の結果」がどうあれ、ロシアは日本固有の領土である北方領土を奪うことはできない。
日ソ中立条約に調印する松岡洋右外相。スターリン㊨も同席していた=昭和16年4月13日
日ソ中立条約に調印する松岡洋右外相。スターリン(右)も同席していた=昭和16年4月13日
 戦後七十年もたったのだから、わたしたちはもう「無条件降伏史観」から抜け出さなければならない。そうすれば、ラブロフにつけ入られることなく、北方領土問題に対する意識がより高まり、ロシアが未だに北方領土を占拠していること、しかもロシアの領土として開発しようとしていることが、いかに許しがたいことかより強く認識するようになるだろう。

 以下では、ロシアが「無条件降伏史観」を悪用してどのような詐術を行ってきたか、それらは歴史的事実とどのように違っていたのかを明らかにしたい。それによって、ロシアの嘘とごまかしを暴き、北方領土を「ロシアの領土」と呼ぶことがいかに不当であるかを証明したい。

 これまでソ連・ロシアは「無条件降伏史観」を利用して、次の四つを理由としてあげて北方領土が「ロシアの領土」になったと日本人に思いこませようとしてきた。

 ①ポツダム宣言(正式名称「日本の降伏を定めた公告」)を受諾し、降伏した。

 ②一九四五年九月二日に戦艦ミズーリ号上で連合国と終戦協定を結んでいる。

 ③サンフランシスコ平和(講和)条約を結び、南樺太および千島列島を放棄した。

 ④日本が国連憲章第一〇七条敵国条項に当てはまる国である。

 最初にこれら四つが北方領土を「ロシアの領土」とする根拠になり得ない理由を短く説明しよう。そのあとで、詳しい説明を加えていくことにする。

ポツダム宣言が日本に履行を求めた「カイロ宣言」

「ローズヴェルト」大統領、蒋介石大元帥及「チャーチル」総理大臣ハ、各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明ヲ発セラレタリ

各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ

三大同盟国ハ海路陸路及空路ニ依リ其ノ野蛮ナル敵国ニ対シ仮借(かしやく)ナキ弾圧ヲ加フルノ決意ヲ表明セリ右弾圧ハ既ニ増大シツツアリ

三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス

右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼(とうしよ)ヲ剥奪(はくだつ)スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島(ほうことう)ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ

日本国ハ又暴力及貪慾(どんよく)ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ

前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈(やが)テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス

右ノ目的ヲ以テ右三同盟国ハ同盟諸国中日本国ト交戦中ナル諸国ト協調シ日本国ノ無条件降伏ヲ齎(もたら)スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ続行スヘシ」

※台湾では①中華民国が台湾の主権を有するという解釈②カイロ宣言自体の国際法上の有効性―に議論がある。



ソ連はポツダム宣言主体から排除


 まず①だが、ポツダム宣言の第八条は、降伏後の日本の領土を「本州、九州、四国、北海道および、われわれが決めた島々」としている。だが、ソ連代表ヨシフ・スターリンはこのポツダム宣言に署名していない。よってソ連は「われわれに」は含まれておらず、本州四島以外の島々について決める権利をもっていない。

 よくソ連がポツダム宣言に署名しなかったのは、日本に参戦の意図を悟られないようにするためだったとまことしやかにいわれるが、これは誤りである。事実は、ソ連側もポツダム宣言の案を持ってきたのだが、トルーマンはこれに一瞥もくれずに、さっさと自分たちが用意したポツダム宣言を発表してしまったというものだ。参戦の意図を悟られないようにもなにも、米ソは袖を分かっていたのだ。

 ポツダム会議の前の一九四五年七月十六日に原爆実験の成功の知らせを受けたトルーマンは、この悪魔の兵器を使えば、ソ連の参戦なしに日本を降伏させられると考え、原爆投下を決断すると同時にソ連を「われわれ」から排除した。したがって、ソ連はアメリカとの合意に基づいて対日戦争に入ったのではなく、勝手にそうしたのだ。