降伏調印後も攻撃して領土侵奪


 次に②だが、たしかに日本が同年九月二日にミズーリ号上で調印した降伏文書には、他の連合国と同様にソ連も調印している。だが、これは、連合国に対する日本軍の降伏などを布告しただけだ。引き続き発出された連合国最高司令官の一般命令第一号で、各地の日本軍の降伏先が定められ、このなかで交戦状態にあった樺太・千島などではソ連軍に降伏するよう命じた。しかし終戦協定としての同艦上での手続きは、領土について定めたものではない。これによって日本が認めたと見なせるのはせいぜい一時的占領だ。
東京湾のミズーリ艦上で日本降伏の文書に署名したマッカーサー連合国軍最高司令官。続いて後方のデレヴィヤンコ・ソ連代表ら連合国各代表も署名した=昭和20年9月2日
東京湾のミズーリ艦上で日本降伏の文書に署名したマッカーサー連合国軍最高司令官。続いて後方のデレヴィヤンコ・ソ連代表ら連合国各代表も署名した=昭和20年9月2日
 そもそもソ連は他の戦勝国とは大きく違う点がある。それは日ソ中立条約に違反して、一方的に攻撃してきたという点だ。不法に戦争に加わったソ連を他の連合国と同じく戦勝国と呼んでいいのだろうか。事後に批准された国連憲章で合法と認められたという馬鹿げた記述を見かけるが、これが信じられるとすれば「無条件降伏史観」のなせる業だろう。罪を犯したあとで、それを無罪とする法律を事後に無理やり作っても、さかのぼってその罪を無罪にはできない。

 また、ソ連は日本の降伏通告をほぼ無視して、軍事行動を取り続けた。日本はポツダム宣言を受諾する旨の通知を八月十四日にスウェーデン政府経由でソ連に送っているが、ソ連はこの通知を受け取ったあとも日本の軍民、とりわけ民間人に殺戮、暴行、強姦、略奪を大規模かつ組織的に執拗に行いつづけた。これは八月十五日以降軍事行動を即座に停止したほかの連合国と際立った対照を見せている。
樺太・千島への南下侵攻を続けるソ連軍は8月29日に択捉島に上陸して日本側を攻撃。この後さらに南下を続けた
樺太・千島への南下侵攻を続けるソ連軍は8月29日に択捉島に上陸して日本側を攻撃。この後さらに南下を続けた
 さらに、ソ連は降伏文書に調印したあとでさえ、軍事行動をやめなかった。ソ連軍が歯舞群島に達したのは九月三日であり、千島列島全体を占拠したのは、九月五日だ。つまり、ソ連は日本の降伏文書に自ら調印したあとも、ほぼ無抵抗の日本の軍民に対して軍事行動を取り続け、千島列島全体の占領を完了させたのだ。

 もっと根源的で私たち日本人が絶対忘れてはならないことは、日本が終戦を決意して仲介を依頼したとき、ソ連はのらりくらりと、時間稼ぎをして戦争準備を整え、矢尽き刀折れて落ち武者同然になった日本を、だまし討ちにしたということだ。降伏するもなにも、そもそも日本はソ連と戦う気などなかったのだ。

ヤルタ密約は相手の米国が破棄


 次に③だが、ソ連は、中国(共産党中国)と韓国とともにサンフランシスコ平和条約の締結国となっていない。日本はこの条約によって、南樺太と千島列島を放棄させられたが、それらの帰属は未定とされていて、ソ連に与えるとされていない。つまり、①②で見たように、やはりアメリカは、ソ連を自分と同等の戦勝国として認めておらず、したがって、千島列島どころか南樺太まで、ソ連の主権を認めていないのだ。現在でも正式な地図では、南樺太および千島列島は、ロシア領とは別の色になっていて、ロシアの領土とはされていない。

 決定的なのは、一九五二(昭和二十七)年にサンフランシスコ平和条約をアメリカ上院が批准する際に、ヤルタ極東密約を破棄するとした付帯決議がなされていることだ。アメリカでは大統領が密約を結んでも、議会が承認しなければ無効なので、ヤルタ極東密約は「ルーズヴェルトの約束」のまま破棄されたことになる。したがって、サンフランシスコ平和条約の時点で、南樺太および千島の帰属が未定になったというより、もう一歩踏み込んで、ソ連の領土とする根拠が消えたのだ。

 最後の④だが、ソ連・ロシアにとって最後の砦となっているのがこの国連憲章(第一七章)第一〇七条だが、その内容は「憲章のいかなる規定も、敵であった国の行動について責任を有する政府が戦争の結果としてとり又は許可したもの(休戦・降伏・占領などの戦後措置)を無効にし、又は排除するものではない」というものである。

 読んで明らかなように、大戦末期の混乱で生まれた敗戦国(敵国)に不利な状態を国際連合が成立したあとも追認させようという戦勝国のエゴまるだしの取り決めだ。こんな取り決めでさえソ連の北方領土の不法占拠を正当化できない。

 北方領土の場合、該当するのは、「占領」だが、ソ連は前に述べた経緯から「旧敵国の行動について責任を有する政府」とはいえない。事実、ソ連は日本が降伏したあと、日本の占領に加わることを要求したが、トルーマン大統領はこれを拒否し、かわりにイギリスに増派を求めた。

 また、占領できる期限は、ポツダム宣言に明記されているように、占領目的が果たされるまでであって、そのあとは撤退しなければならない。事実、アメリカは占領目的である「軍国主義の排除と民主化」が実現できたとして昭和二十七年をもって占領を終結させている。したがって、ソ連もとっくの昔に北方領土から撤退していなければならなかった。

 占領ではなく、領有だというなら、繰り返しになるが、ソ連は侵略国家だということになり、カイロ会議、ヤルタ会談、ポツダム会議で決議されたように、奪った領土は、奪われた国に返さなければならない。つまり、どっちにせよ、最小限でも北方領土は日本に返さなければならない。