別冊正論25号『「樺太-カラフト」を知る』より

『別冊正論』編集部

 大東亜戦争末期に日ソ中立条約を無視して対日侵攻し、樺太など北方領域を占拠し、七十万といわれる日本人捕虜を抑留使役したソビエトロシア。その国交回復を「命題」にした鳩山一郎と河野一郎が昭和三十一年十月に調印した日ソ共同宣言。双方のやり取りやソ連側の対応の変化について産経新聞は平成八年七月、独自入手した秘密資料などから具体的に報じた。そこでW一郎が、領土や七十万人への補償要求を切り捨てて、自らの命題を解決したことが改めて浮かぶ。

 このため六十年経った今も、ロシアは北方領土や北洋漁業をめぐる強硬姿勢を崩さず、シベリア抑留の真相究明も進まない。さらにW一郎の手柄の一つとして加盟できた国連(連合国)は、今も日本を旧敵国としている。功名心に駆られた〝政治屋〟はいかに国や国民の利益を損じるか、の言い見本だ。

 W一郎の孫や息子は今、公的な肩書を悪用して「尖閣は日本が盗んだ」「日本官憲の慰安婦の強制連行はあった」などと吹聴し続ける。この鳩山・河野コンビは今に始まったものではなく、六十年前から続く「売国の血筋」であることも教えている。

 「旧ソ連対日交渉秘密文書を入手 『二島返還論』の真相 国後・択捉継続協議覆す」などと題した記事を再掲(一部修正)する。

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日本の政争につけこむ


 昭和三十一年十月、ソ連との国交回復をうたった日ソ共同宣言の締結をめぐる首脳会談議事録やソ連共産党の指令書など秘密文書を産経新聞は入手した。ソ連側が歯舞(はぼまい)と色丹(しこたん)の返還を決定した経緯や、領土問題継続交渉を明記した草案をソ連側が強引に撤回したやり取りが判明した。

 日ソ国交回復交渉は、自由党の吉田茂内閣の後を受けて二十九年十二月、日本民主党の鳩山一郎総裁が内閣を率いてから動き出した。

 明らかになった秘密文書は、①三十一年六月に始まったロンドン交渉に関する文書②同九月の鳩山首相とブルガーニン首相との交換書簡③モスクワ交渉での河野一郎農相とフルシチョフ・ソ連共産党第一書記との四回に及ぶ会談議事録④同じく鳩山首相、河野農相と、ブルガーニン首相、ミコヤン副首相の会談議事録―など十四点。この中では、ロンドン交渉の前に、ソ連共産党幹部会の決定として「領土問題は解決済み」としていたソ連側が、交渉途中で歯舞、色丹の返還を打ち出した経緯が初めてわかった。
日ソ共同宣言に署名する鳩山一郎㊧とブルガーニン㊨。鳩山は領土とシベリア抑留補償を切り捨てた=昭和31年10月19日、モスクワ
日ソ共同宣言に署名する鳩山一郎㊧とブルガーニン㊨。鳩山は領土とシベリア抑留補償を切り捨てた=昭和31年10月19日、モスクワ
 交渉では日本側全権で元駐英大使の松本俊一代議士が歯舞と色丹の返還をとくに強調したことなどから、ソ連側全権のマリク駐英大使は「日本側は歯舞と色丹を除いて国後、択捉両島の返還はあきらめている」との認識を持つに至った。

 この報告を受けたソ連共産党幹部会は当初の決定を急いで変更し、歯舞、色丹の二島を返還することで日本との平和条約が締結されるとの強い期待を抱いた。言い換えれば、国後、択捉の返還をあくまで拒否しても日本側は譲歩する、と判断していたことがうかがえる。

 しかし、三十年十一月の保守合同で誕生した自由民主党が四島返還を党議決定し、交渉は行き詰まった。翌三十一年五月、漁業交渉で訪ソした河野はブルガーニンとの会談を受けて、「二島返還、残りは継続協議」で党内の取りまとめに動く。

 これに吉田派が強く反発し、米国も「北海道の一部である歯舞、色丹とともに、国後、択捉も日本固有の領土」との国務省の覚書を発表して牽制したことから、鳩山内閣としては二島返還による日ソ平和条約の締結がしにくくなった。

 このため、鳩山は今回明らかになった同九月十一日付のブルガーニンあての書簡で、平和条約締結をあきらめ、「領土問題の交渉は継続協議」を条件に共同宣言の形で国交回復だけを図る方針に転換。だが、これを阻止しようとする反対派の主導で「二島返還、残りは継続協議」を国交回復の条件とする新党議を決定して勝手な交渉に枠をはめた。

 領土問題を後回しにして国交回復を優先させる道を閉ざされた鳩山は、十月十二日にモスクワを訪問した。鳩山に代わってフルシチョフと会談を重ねた河野は、交渉が成功しなければソ連との国交回復に反対する吉田派ら反対勢力によって鳩山内閣が窮地に陥る、と懸命に訴えていたことが議事録でわかる。

 河野はブルガーニンが五月の会談で「二島返還、残りは継続協議」を容認したとし、いわゆる〝密約〟をにおわせて迫ったが、フルシチョフは「解釈が違う」と拒否。ブルガーニンも「国後、択捉については話にさえならない」と継続協議を否定した。文書では明確な〝密約〟は見当たらないが、これをあてにしていた河野の期待は覆された形となった。

 「歯舞、色丹の返還で領土問題は決着」との堅い姿勢を崩さないソ連側は、その返還時期を米国による沖縄返還と絡める揺さぶりを日本側にかけさえした。さらに、フルシチョフ自ら党幹部会に提案した共同宣言案の「領土問題を含む平和条約締結の継続協議」から「領土問題を含む」の撤回・削除を強硬に主張した。

 この部分は日本にとって国後、択捉の継続協議を意味する一筋の光明だっただけに、河野は「すでに東京の了解を取ってしまった」と懸命に抵抗する。だが、それを文章化した自らの誤りと、日本側の意図に気付いたフルシチョフは「解釈をめぐる戦争の危険」という脅し文句まで使って押し切っていた。