三浦瑠麗(国際政治学者)

 田原総一朗氏の功績について書くことを依頼され、最初は少々戸惑った。私のような若輩者よりも適切な論者はいくらでもいるだろうと思ったが、せっかくの機会なのでお受けした。そして、少々調べてみると、氏の築いてきた実績に改めて驚かされた。

 田原氏は、岩波映画製作所にカメラマン助手として入社されて、ジャーナリストと映画監督としてのキャリアをスタートさせた。東京オリンピックの年の1964年、現テレビ東京開局とともに同社に入社し、ドキュメンタリー番組を手掛けるディレクターとなる。フリーとなって以後も活動の幅を広げ、活発に執筆も行い、映画も撮られている。1987年には「朝まで生テレビ!」が、1989年には「サンデープロジェクト」が始まった。30年以上にわたって日本のトップジャーナリストの地位にある。

 中でも「サンデープロジェクト」は、田原氏が時の権力者にも大胆に切り込む姿勢が人気を博し、政治家が最も恐れる番組であったという。いくつかの内閣の崩壊や誕生に決定的となる流れを作ったことは自他ともに認める勲章だろう。政財界に比類ない人脈を築かれているから、誰よりも先に情報が入ってくるだろう。長くそうしていると大抵は体制と癒着してくるものなのだが、そういう印象を受けない。しっかり関係を作った上で、それでも聞くべきことは聞くし、刺すときは刺すということか。流れを作る嗅覚は健在だ。
 私がもっとも評価をしているのは、氏の存在によって日本の言論の空間が広がったことである。「朝まで生テレビ!」では、天皇、部落差別、原発など、当時の日本社会においてはまだまだ語ること自体がタブーとされているテーマを取り上げた。論点を単純化し、先鋭化するスタイルは批判も浴びたし、副作用も生んだだろう。それでも、視聴率という数字の力を背景として、暗黙の合意が張り巡らされた日本社会に挑み続けてきた。それは、マーケットと大衆の支持を通じて進められた大衆運動であったのかもしれない。「朝生」という解放区から生まれた自由のエネルギーが日本社会にあふれ出していったかのようであった。日本政治のあり様も、政治家のあり様も、田原氏の存在がなければずいぶんと違っていたことだろう。その変化は、日本社会に完全に定着している。紛れもない氏のレガシーである。