東谷暁(ジャーナリスト)




中国の報復核戦略取り下げの衝撃~変動する国際核情勢

 ここにきて頻繁に、世界の核戦略の構図が変わるのではないかと思われる事件が起っている。まず、今年七月十四日、イランの核開発をめぐる協議が、イランとアメリカを中心とする先進国との間で決着した。

 これで中東における核問題は解決したかのように妥結を讃える報道が多かったが、もちろんそれほど甘い話ではない。イランはこれから十年余の間、核開発ができなくなることは決まったが、それ以後はどうなるか分からない。

 アメリカでも民主党のヒラリー・クリントンは妥結を支持したが、共和党の政治家たちの多くは最悪の結末だと激しく非難した。中東における唯一の核保有国とされているイスラエルのネタニヤフ首相も怒りを露わにしている。批判する側が指摘するのは「この妥結では単にイランが核保有するのを先延ばししただけだ」という点である。

 事実、この妥結案が浮上したとき、アメリカ核戦略の重鎮ヘンリー・キッシンジャーが「これでイランは核保有へ向かうだろう」と証言していた。これまでの例を見ても、ある程度の経済力があれば、核保有を強く決意している国家を、国際社会が最終的にコントロールすることはかなり難しい。

2015年7月14日、米ホワイトハウスで、イラン核協議の最終合意を受けて声明を発表するオバマ大統領(右)。左はバイデン副大統領(AP=共同)
2015年7月14日、米ホワイトハウスで、イラン核協議の最終合意を受けて声明を発表するオバマ大統領(右)。左はバイデン副大統領(AP=共同)
 イラン核協議の評価とはうらはらに、実は、この協議妥結は将来の、中東における(それどころか世界的な)核拡散の始まりであるという観察は少なくないのである。

 もうひとつの注目すべき動向は、ほかでもない、中国の核戦略が変わったのではないかと思われる兆候があることだ。これも今年五月二十八日、外交誌ディプロマット電子版にカーネギー財団核政策プログラムに参加しているトン・ツァオの「戦略的警告と中国の核戦略態勢」が、同財団のサイトから転載された。

 この論文は二日前の五月二十六日に発表された中国の国防白書である『中国の軍事戦略』が、核戦略の変更を示唆していると指摘して注目された。同論文は「中国はこの白書のなかで核兵器について目的は二つだけだと再確認している。すなわち、『戦略的抑止と核による報復』である」と述べつつも、「戦略的な早期警戒戦略」という文言に注意を喚起して中国の核戦略には変化がみられると論じている。

 いったい、これのどこが注目に値したのだろうか。実は、中国の核戦略は専門家が「神秘的」というほど不自然なところがあった。詳しいことは他論文にお任せするが、一九六四年にロプ・ノールでの原爆実験を成功させ、六七年には水爆実験も成功させて以来、常に、自分たちの核兵器は「帝国主義者が核攻撃をしてきたとき報復に使われる」と主張し、推定される核弾頭数も二百数十を超えなかった。

 こうした「報復核戦略」は中位国の核戦略に見られるもので、二〇一三年四月に発表した『中国の武装力の多様運用』で、それまで主張してきた報復核戦略を削除したときには世界に大きな衝撃を与えた。これこそ中国の核戦略が、冷戦期の大国型に転換した証左とする見解も多かった。ところが、またしても今年になって、報復核に徹する方針を打ち出してみせたのである。

 前出のトン・ツァオは「戦略的な早期警戒能力」という文言が組み込まれたことから、敵国の攻撃態勢の早期察知、反撃までの時間短縮、敵ミサイル発射に即時報復などの戦略変更があるとしている。これまで中国は報復までの時間についてルーズであり、それは報復核戦略に徹しているからだといわれた。しかし、このルーズさを変えようとするのであれば、戦略の中心になんらかの変化があったことは否定できない。それは南シナ海や尖閣諸島での動向を思い出せば、ますます疑いは濃厚になるのである。