松平定知(フリーアナウンサー)

「異母説」で2つの疑問を解決


 太郎、次郎、三郎という兄弟がいたら、まあ、普通は長男、次男、三男と考える。ところが、本稿は、三郎が兄で、次郎が弟だという話である。

 この兄弟は、今年のNHK大河ドラマ「真田丸」の主人公、真田幸村(信繁)と、その「兄」の信之(信幸)。真田家の史料によれば、幼名・源三郎の「兄」信之と、同・源次郎の「弟」幸村は年子(としご)で、信之は大男、幸村は小兵、性格も容貌も相当異なっていたという。

 だから、「この兄弟は母が違う」と指摘する人は昔から多い。私も実は「ソレ派」である。なぜなら、そう考えると、この兄弟に関しての2つの大きな疑問が同時に解決するからである。

NHK大河ドラマ「真田丸」の一場面。真田家の行く先について語り合う真田信繁(堺雅人、左)と兄の信幸(大泉洋)
NHK大河ドラマ「真田丸」の一場面。真田家の行く先について語り合う真田信繁(堺雅人、左)と兄の信幸(大泉洋)
 彼らをめぐる2つの疑問。1つは「天下分け目の関ヶ原の戦い」の直前、謀略のエキスパートの彼らの父、昌幸が、この戦(いくさ)がどちらに転んでも真田家が存続するようにと下した、いわゆる「犬伏の別れ」と言われている結論のことだ。「嫡男の信之は徳川家康率いる東軍に。幸村と自分は石田三成率いる西軍に」という「分け方」と「組み合わせ」の理由は何か。

 もう1つは、関ヶ原の前の二度にわたる「上田戦争」での敵対行為と、関ヶ原での敵側の立ち位置にも関わらず、父と「弟」幸村は、家康に殺されることなく、その後、父は11年、幸村は14年という長い歳月を、高野山近くの九度山(くどやま、和歌山県九度山町)で生き延びた。その際、父の妻であり、幸村の母である「山之手殿」は同行せず、さりとて離婚もせず、勝った徳川方に属した信之と一緒の生活を選択したのはなぜか、である。

 これは2つとも、兄弟の父、昌幸が、正妻との間の子供(信之)の誕生前に、他の女性に子供(幸村)を成してしまったからだと考えると説明がつく。

 「正妻以外の女性との子を真田家の『嫡流』にするわけにはいかない」と悩む昌幸に、程なく正妻懐妊の報が入る。調略家の父はここぞとばかり考えをめぐらし、「子供の順番の交代」にたどり着いた、というのはどうだろう。

 もちろん、「誕生年をごまかして順番を逆にするくらいなら、2人の息子の幼名を入れ変えた方がよっぽど造作ない」とか、「昌幸自身も幸隆の三男でありながら幼名は源五郎だし、彼の双子の弟・信尹は源次郎だから、真田家はもともと、子供の名前と数字とは全く無関係」と指摘なさる方、つまり、この「異母説」(兄弟逆転説)に異を唱える方も、たくさん、いらっしゃるのだが…。さあ、以下は次回。