常見陽平(千葉商科大学 国際教養学部専任講師)

 SPEEDの今井絵理子の立候補が正式に発表された。昨日、フジテレビ ホウドウキョクの「あしたのコンパス」という番組の岩田崇氏からコメント募集メールが届いたので、いてもたってもいられずメールをした。どうやら番組で読まれたようだ。嬉しい。

 いや、最近、こう自分の投稿がBLOGOSに拾われるかどうか、ホウドウキョクやSession-22や文化系トークラジオLifeで読まれるか否かでドキドキしていて、オールナイトニッポンのハガキ職人みたいだなと思ったりする。一般リスナーに戻っている、俺。

 その時の内容プラスαを備忘録的に。

 まず、この件について民主党の細野豪志氏が「どういうことをやりたい方か明確であるべきだ。 知名度だけを目当てにする候補は望ましくない」と述べ、自民党をけん制したと言うが・・・。

 「一強打破」など、まるで暴走族の「全国制覇」のような、具体性のない、衝動だけのコピーを打ち出すような政党にそんなことは言われたくないのである。「どういうことをやりたい方か明確であるべきだ」というが、民主党には、細野氏にはそれがあるのか。政策論争をする、政権を奪還する強い野党が必要だと我々は何年議論しないといけないのか。民主党の政治は、民主主義は弱すぎる。私も労働者に対して優しく、フェアである国にしたいと思っているのだが。民主党にはがっかりだ。

 私は、国会議員はいろんな人がいる状態が良いのだと思っている。様々な立場の代表者が国会にいるということが多様性があり豊かな社会なのだと思う。私は以前はタレント議員や元スポーツ選手議員に否定的だったが、今では肯定的である。彼らもまた厳しい世界で闘ってきている。スポーツ選手に至っては、世界を体感している人も多数いるわけで。もっとも、知名度だけで当選するのは初期だけで、のちに国会議員としての能力、資質、実績は問われていく。元の世界に戻れるとも限らない。だいたい、数名タレント議員や元スポーツ選手議員がいたくらいで国は傾かないのである。若者や、それに限らず政治に関心がない層、普段選挙に行かない層が関心を持つならそれでいい。政治に関心を持つキッカケは、別にSEALDsのデモだけではないのだ。これで極端な衆愚化に走るほど、この国は腐っていない。

 もっとも、細野氏が言ったように、今井氏の主張と自民党の方針との整合性は問われるだろう。その件について、今井氏にしろ、自民党にしろ、いかに説得力のある丁寧な説明をするのか。問われるのはこれからである。ただ、自民党というのはもともと多様な議員がいる政党なので。党の中でも利害調整が常に行われているわけなので。彼女のようなものが一人いたくらいで目くじらを立てるのはいかがなものか。

 彼女のシングルマザーとして、耳の不自由な子供を育てているという実体験というのは、単なるお涙ちょうだいエピソードではなくて、当事者として何かを変えたい衝動があるのだろう。魂を感じる。
SPEED(左から)上原多香子、島袋寛子、今井絵理子、新垣仁絵=1998年2月23日
SPEED(左から)上原多香子、島袋寛子、今井絵理子、新垣仁絵=1998年2月23日
表題の
SPEED今井の立候補とは「BODY&SOUL」である
というのは釣りでもふざけているのでも何でもなくて
意味の一つは、心技体、全身全霊こめている感があるという意味だ。

 もっとも、前述したとおり、筋が通っているかどうかや、単なる人気集めじゃないかとか、能力・資質はどうなのかという問題はあるだろう。それを決めるのは有権者だし、その支持を得られるかどうかは今後の彼女の活動にかかっている。まだ彼女は「出馬表明」をしただけであって、「政治家」でも、ましてや正式な「立候補者」でもない。選挙は正式には始まっていないのだから。

SPEED今井の立候補とは「BODY&SOUL」である
とした意味のもう一つは、「BODY&SOUL」はデビュー曲であるということだ。

 つまり、私が言いたいのは、今井の立候補というのは序曲であるということだ。18歳選挙権の件もあり、また甘利問題、育休議員問題(これはこの議員自体のゲスの極み問題と、議員の育休という制度の問題は分けて考えるべきだな、ただ、甘利問題以上に庶民の怒りを買いそうではある)などのマイナスイメージもあり、今後、芸能人やスポーツ選手、起業家、社会起業家、大学教員、物書きなどを候補者として立てる動きは顕著になるのではないかと私は見ている。あの人も、あの人も、立候補するのではないかと。

 まあ、今後もこの手の話題はつきないと思うが、そのことでいちいち騒がず、有権者として少しでもまともな投票ができるように情報を集め、判断し、投票に行くこと。これが大事なのだ。