門田隆将(ノンフィクション作家)

忘れられない微笑み


 「わかりました。やらせていただきます」

 目の前で、優しく、魅力的な笑みを浮かべて、櫻井よしこさんは、そう言ってくれた。

 多くのファンを惹きつけてやまない、あの特徴的な微笑みは、今も忘れられない。

 1997年秋、私が『週刊新潮』デスクとして初めて櫻井さんに、ある企画のお願いをしにいった時のことである。 『週刊新潮』は、伝統的にすべての記事を“自前”でやるのが基本だ。企画、取材、執筆のすべてを編集部内でおこなうのである。

 しかし、この時、政治・経済・国際・司法・事件……等々、さまざまな分野で日本という国が内包している問題点を外部執筆者による「日本の危機」というシリーズにして、世に問おうという構想が持ち上がった。『週刊新潮』には極めて珍しい特集企画である。
 当時の松田宏編集長に相談された私は、執筆者として、櫻井よしこさんを推薦した。幅広いジャンルで、鋭い評論をおこなっていた櫻井さんに、かねて注目していたからである。さっそく当時、紀尾井町にあった櫻井さんの事務所を訪ね、その依頼をさせてもらったのだ。

 すでに櫻井さんは、『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』(中央公論社)で大宅壮一ノンフィクション賞も受賞しており、押しも押されもせぬ第一線ジャーナリストだった。しかし、毎週、『週刊新潮』に特集記事(分量は5ページで、500行を超える)を書き続けるのは、容易なことではない。櫻井さんも、いきなりの特集記事の「連載」という依頼に二の足を踏み、なかなかOKを出してくれなかった。

 しかし、この企画ができるのは櫻井さんしかいないことを訴え、やっと承諾してもらった時、私は冒頭の“優しい笑顔”に「出会う」ことができたのである。

どんなタブーにも怯まない


 そして、編集部の腕っこき記者も取材に走ったこの「日本の危機」シリーズは大きな反響を呼び、1998年の菊池寛賞にも選ばれ、単行本としてもベストセラーとなった。今から17年前のこのシリーズを読み返すと、その後、問題化されていく“日本の病巣”が、いかに数多く抉り出されていたかがわかる。

 タイトルの一部を挙げただけでも、〈中国の掌で踊る日本外交のお粗末〉〈朝日新聞「人権報道」に疑義あり〉〈農協は農民の味方か敵か〉〈事実へのこだわりを忘れた巨大メディア〉〈年金資金を食い潰す官僚の無責任〉〈沖縄問題で地元紙報道への大疑問〉〈人権を弄ぶ人権派の罪〉……等々、今も思わず、読み込んでみたくなるものばかりだ。

 私は、このシリーズが終わってからも、櫻井さんと共に、台湾の李登輝総統や、次の陳水扁総統、あるいは、まだソウル市長時代の李明博(のちの韓国大統領)といった要人のインタビューに赴くなど、貴重な体験をさせてもらった。真実を追求しようという櫻井さんの態度は一貫しており、いつも感心させられた。