史実に忠実な作品が必ずしも素晴らしい作品とは限らない。世界的に評価された黒澤明の『乱』も、戦国時代が舞台だが登場するのは世継ぎ争いが勃発した大名・一文字家である。そんな大名は存在していない。『乱』は『リア王』をモデルとした黒澤明の創作だ。『シンドラーのリスト』はナチス・ドイツ下のドイツが舞台で登場するのはドイツ人だが、登場人物全員が英語を使っている。ユダヤ人を救った実際のオスカー・シンドラーは英語を喋らない。しかし、この作品はアカデミー賞を受賞し、映画史に名を残している。事ほど左様に、創作物とは、常に虚構が伴っている。虚構があるから駄目だというふうにはならない。虚構があるからおかしいとか、歴史と違うから駄目だ、という批判は、そもそも映像作品を評するにあたっては的外れも著しい。仮に虚構が存在していようと、私は『風立ちぬ』は傑作に違いないと思う。

 表現の自由、という問題もある。禁煙学会の言う「表現の自由の侵害(という批判)は、国家権力に対して行われるべき批判であって、民間団体の我々は正統な権利を行使しているだけ」というのも誠に腑に落ちない。そうであるならば、その権利の行使が『風立ちぬ』のみに限局されている理由もまた説明しなければならないが、その理由は全くなされていない。つまり、民間団体の恣意的な選別――たまたまそれがヒットしている宮崎駿の最新作だったから――が介在しているという疑いを向けられても仕方がない。前述したとおり、登場人物が喫煙を行う作品は、『風立ちぬ』以外にも数多く存在するからである。宮崎駿の作品の中で、最も多く喫煙シーンが登場する『紅の豚』(九二年)がまっさきに槍玉にあがらないのも、彼らの強烈な不作為を感じるのだ。

喫煙シーンへの背筋が凍る警告


 筒井康隆氏の短編小説である『最後の喫煙者』(八七年発表)は、嫌煙運動をシニカルに描いた傑作中の傑作であるが、全体主義の恐怖を描いたという点では、ジョージ・オーウェルの『一九八四』、レイ・ブラッドベリの『華氏四五一』と通底している。今回の禁煙学会による『風立ちぬ』への非難は、はからずもこういった往年の古典的SFが警鐘を鳴らした、全体主義への危機感を彷彿とさせるものであった。ナチス・ドイツは、自らの体制に相いれぬ作家の作品を「非ドイツ的」とカテゴライズし、「退廃芸術展」としてドイツ各地で大々的に見せしめにし、それでも飽きたらず焚書した。トーマス・マンなどの作家やパウル・クレー、グスタフ・クリムトやエゴン・シーレといった画家をことごとく追放した。戦後、評価を受けたのは退廃的と烙印を押された彼らの側だったのは実に皮肉な話である。

 こういった創作への弾圧は、実につまらない理由で開始される。クリムトは女の裸ばかり描いているという理屈で、ゲッペルスに睨まれた。退廃芸術の巣窟と名指しされたバウハウス(美術学校)は、当時の校長であるハンネス・マイヤーが共産主義者だったからという理由だけで徹底的に弾圧された。なにもこういった風潮はドイツに限ったことではない。戦後のアメリカでも、チャップリンが同じ理由で追放されイギリスに亡命している。今や古典となっているエルビス・プレスリーは当時、宗教色の強いアメリカ南部でレコードが焚書運動の対象になった。理由は「ダンスの腰使いが卑猥だから」。今考えれば実に馬鹿馬鹿しい理由だが、放置しておくと、大変な目に合うことは歴史が証明している。『風立ちぬ』への批判はこのように最早、喫煙者と非喫煙者の確執、という単純な図式に収まりきれない深刻な示唆を含んでいる。

 禁煙学会は、「風立ちぬに関する見解」の最後に、「風立ちぬに限らず、映像作品を制作するすべての方々に対し、タバコシーンがもたらす影響を熟慮いただきたい」と結んでいる。背筋が凍る警告である。これを許容すると、次は「登場人物が肉ばかり喰うのは健康志向に害を与える」とか、「酒を呑むシーンが未成年者飲酒を助長する」とか、「電車の中でメールを送るシーンはマナー違反である」とか、数限りないアニメや映画に対する難癖が付けられる。

 そういったシーンを含む作品は、「退廃的」の烙印を押され、果ては焚書され、後には綺麗で、害のない、光り輝く、「健康で文化的」な平和の作品ばかりが燃えカスのように残ることになるだろう。 世界には、清潔で、都市的で、洗練された、風通しの良い空間だけが残ろう。宮崎が訴えたように、この考えこそ生命の終焉であり、醜い肉塊であるとわからなければならない。生命は闇の中に瞬く光だ。人生とは明と暗の混沌だ。タバコの煙の中に、宮崎駿が込めた哲学を垣間見た気がする。

ふるや・つねひら 1982年、北海道札幌市生まれ。立命館大学文学部史学科卒。ネットと「保守」、メディア問題、アニメ評論などのテーマで執筆活動を行っている。著書に『竹島に行ってみた!』『韓流、テレビ、ステマした』『ネット右翼の逆襲』など。
(※iRONNA編集部注:肩書き等は『コンフォール』掲載当時のものです)