設問自体を疑え


 タバコが健康に悪いかどうかという議論から一歩引いて、見かたを変えてみれば、もともとはアメリカ大陸の原住民が神との交信に使っていた。タバコは神事・祭杷や呪術に用いられていたわけです。つまり、喫煙は宗教活動だった。そういう観点からすると、健康に悪いからやめろというのは信教の自由を脅かすものということになる(笑)。宗教の儀式に対して外部からあれこれ批判すべきではないでしょう。まあ、人身御供みたいなことになると、人権問題だ、野蛮だというのでやめさせるのはわかります。だけど、タバコを健康という観点だけからみるのはあまりに一面的だ という話です。

 そもそも「体にいいか悪いか」という設問自体が正しいかどうかを疑いもせず、嫌煙に飛びつくのは、わたしだけはオレオレ詐欺にひっかからな いと言っていながらだまされるような人たちでしょうね。設問自体を疑ってかかれば、まず、健康の意味をちゃんと説明できるかどうかが前提になる。長生きすなわち健康なのか。健康ブームというのも、そういうあまり深くものを考えない人たちに 支えられているんでしょうね。健康食品とか何とかいって、通信販売でとんでもないものを売っているじゃないですか(笑)。それをやすやすと買うのは、お値段も手ごろだし、編されても腹は立たないからなのかな。

 ちょっと前までは、「どうぞ、どうぞ」と勧めないまでも、「俺の前でタバコを吸うな」という人はいなかった。それでは角が立つから、副流煙の話を持ち出したんでしょう。そばにいるわたしにも実害があるんだからやめてくれということですね。あげくに子供の目の高さに煙草があるから危険だと言い始めた。そこまで言われると、「もはや、これまで」(笑)。

 要するに、正義である、完全無欠であると信じている考えにも穴がいっぱいありますよということです。当然、いましゃべっている私にしても同じですよ。ただ、私は“断定”はしない(笑)。健康って、百人いれば百人とも考えが違ってしかるべきで、地域によっても違うだろうし、時代や、四季折々によってもそれぞれ違うでしょう。

 それを明確に説明できずに「タバコは健康に悪い!」と主張する人たちには、遊びというか余裕というか、幅というか、そういうものは理解の外なんですね。禁煙運動でも嫌煙でもどちらでもいいんですが、現象をみてフッと笑える人間でないと、語る資格がない。全方位的なユーモアの感覚がないとね。おそらく、人生もそうでしょう。「かくあるべし」みたいに断定する人聞は「もはや、これまで」です。「生まれちゃったよーん」みた いな感じで生きていくのがいい。

 赤ちゃんはオギャーと泣いて生まれるけれど、もし言語を習得していれば、実は生まれた瞬間に「もはや、これまで!」と叫ぶべきなんだ(笑)。