鄧小平のカンチガイ


 ところが、これが困っちゃうんだけど、生きていくためにはヘラヘラ笑ってばかりもいられない。「なーんちゃって」って笑いつつも、締めるところは締めないと、せっかく生まれてきて、ダラダラしているだけだと困っちゃうわけです。どこかに心棒を通さにゃいかん。そう考えると、日本人が考えた武士道というのは実によくできているんですよ。いろいろな意味で完全無欠な、神がかった奇跡に近い。まあ神がいるかどうかはまた別問題 だけれど(笑)。武士道を規範にすれば、まず他人に余計な口出しはしませんね。自慢もしないし、自らについて多くを語らない。それに覚悟がある。

 武士道があったから、日本は西洋列強の脅威に屈せず、明治維新を成し遂げた。それどころか、あっというまに西洋に追いついてしまいました。ペリーが黒船で来航してから国産の軍艦で清を打ち破るまで、わずか四十一年です。まさに驚天動地。こんなことは人類史上、二度とできません。

 それで中国・朝鮮が、それまでパカにしていた武士道、明治維新というものを勉強するんですよ。西洋もしました。アメリカもいまだに研究しています。ところが、理解できない(笑)。これは彼らにはどうしても理解できないでしょうね。毛沢東、周恩来なんかはいい線までいったんですが、やはり途中でギプアップした。  

黒鉄氏と西部蓮氏が人類への絶望を朗らかに語り合った対談集『もはや、これまで』( P H P研究所)
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語り合った対談集『もはや、これまで』
( P H P研究所)
 でも、 毛沢東を讃美するつもりはないけれど、とりあえずは中国を支配するところまでいったやつだから、ある程度の見る目はあるんですね。彼は共産党が政権をとれたのは日本のおかげだと言っています。これはシニカルでもあるし、嫌味でもあるんだけれど、それを言語化したというのは、さすがに彼は日本をそこそこ理解できていたんだと思う。まあ中国六千年という嘘はついているけれど(笑)。それに比べると、鄧小平はまったくわかっていなかった。
       
 鄧小平が副総理だった一九七八年(昭和五十三年)に来日して新幹線に乗ったとき、日本の技術力に驚嘆して、「わが国は遅れている、この技術を何としても手に入れたい」と非常に真塾な態度で頭を垂れた。車窓に目を移してジーッと見ていた鄧小平の姿に日本人は好感を持ったんですよ。それから三十年後に、日本の技術をコピーしたかパクッたか、あるいは日本から持ち込んだ車両の色を塗り替えたのかはともかく(笑) 、中国は新幹線を走らせました。

 ところが、これは記録に残っているんですけれど、鄧小平は改革解放をスタートさせた当時、こんなことを言っていた。「日本ごときがこれほどの経済成長を成し得たのであるから、大中国に成し得ないわけがない」と。

 その理屈がむちゃくちゃです。鄧小平いわく「中国は大国である、人口が多い、それに社会主義国である。だから日本ができたことは中国にもできる」。これは謎ときにも何にもなっていない。だから、やはり失敗した。いまだに日本にできたことができていません。この謎ときは、実は武士道よりさらに前、織田信長まで遡るんです。