「天下一!」の価値観


 ものづくりに対して、信長は「天下一!」と褒め称えました。それを秀吉も踏襲し、家康も踏襲しますから、日本一の畳屋とか瓦職人とかが各分野に出てくるわけです。このときに価値の転換が行われた。金銀とは異なる価値、最高のものをつくるという価値観を日本人全員が自覚し、共有したんです。自分のつくったものは、誰にも負けないという誇りを持った。納期を守らないといけないんだから、芸術家ではないんですよ。職人として最高のものをつくろうとみんなが励むから、勢い頭がよくなってしまう。

 これは学歴やアカデミックな知識とは違う。知恵という意味で日本人みんながそろって賢くなってしまったんです。欲望と欲求とは違うと思うんですが、英語のwantとneedの違いと言ったらいいかな。衣食住はneedであるけれども、そこから一歩進んだ、でも芸術ではない、たとえばしゃもじでも最高のものをつくろうという方向に進んでいった。ただご飯をよそるだけなら木ベラでいいじゃないかという考えも成り立つけれど、 日本人のつくるしゃもじの曲線の美しさ。あくまでも実用性を追求しながら、そこに美を生み出す。

 儒教にがんじがらめになっている朝鮮では、手足を動かす仕事や肉体労働は下層階級と奴隷のするものだとみなされ、職人も知識階級の貴族から差別されていた。それが日本では褒められ、尊敬されるから、来日した陶工なんかは感激してみんな帰化してしまった。だから彼の地では優秀な職人がいなくなったし、育たなかった。いまでも中国や朝鮮のものづくりの技術は悲惨極まりない。ソウルの南大門の復元工事が終わって記念式典を開いたと思ったら、その直後から塗装がはがれおちたり、柱があちこちひび割れしたりというので、韓国の担当省庁が謝罪したというニュースが最近ありました。日本の接着剤を使ったせいだとか何とか言い訳していたけれど、日本人から見たら話にならない。ちょっとひどすぎるね。

信長と戦国を独自の視点でブラックかつシュールに描いたシリーズ第三弾『新・信長記 地』(PHP研究所)
信長と戦国を独自の視点でブラックかつシュールに
描いたシリーズ第三弾『新・信長記 地』
(PHP研究所)
 刃物にしても、ドイツのゾーリンゲンが日本の刃物にはかなわないから、刃の部分は日本がつくり、柄の部分は自分たちでつくって合体させて商品にするようになった。これは物品におけるグローパリズムと言えるかもしれないけれど、やはり日本製は日本製。日本の職人の技術というのは 世界でも突出しています。

 余談ですが、グローパリズムの時代だなんて騒いでいる連中はどうかしている(笑)。世界のさまざまな文化を一つの基準の下に置くなんでできるわけがない。文化・文明というのは、慣習が日常化していくなかで残ったものが民族や地域に根ざし、それがまた時代とともにあるものは捨てられ、あるものは揉まれて残っていく、それを繰り返して育まれていったものでしょう。

 その中心となるものは言語ですよね。そうすると、言語を選択する以上は、その国ないし地域の文化を守ること、つまり保守以外にあり得ない。「革新」というのなら言語も新たにつくったらどうだということになる。ところが、これがつくれない(笑)。

 私が若いころにエスペラント語という人工的な“世界共通語”がもてはやされて、これからはエスペラント語だって勉強している友人が二、三人いた。最近、そのうちの一人にバッタリ会ったら、本当に時間の無駄だったと後悔していた(笑)。それはブラッドベリとかSFエンターテインメントの世界の話なら面白いんですよ。だけど、それを現実にやろうとすると、ちょっと無理がある。

 話を戻すと、世界史上でも奇跡的な、知恵にひいでた日本人という賢い国民ができてしまった。すると、そこから何が生まれるかといえば、民主主義的なものなんです。民主主義というのは非常に欠陥のある制度だけれど、現在のところ、これに代わるものがない。チャーチルも、「民主主義は最悪だけれど、ほかにないからこれを選択するしかない」と言っています。ですから、これを採用するにはよほど民度が高くなければならない。 実は民主主義をいちばん理解していたのはヨーロッパ人ではなくて、日本人なんです。

 幕末に日本にもやって来た西洋列強は、中国にはアへンを売りつけ、アジアを植民地化して、原住民から搾り取るだけ搾り取ることしか考えず、極悪非道の限りを尽くしたでしょう。日本人はすでにして高度な倫理観を手にしていたから、異民族に対してあんなひどいことはしていない。
『新・信長記 地』より
『新・信長記 地』より