小森榮(弁護士)

 日本人の心を沸かせてくれた、偉大な野球選手が覚せい剤で逮捕されたニュースで、衝撃を受けた方も多いでしょう。輝かしい人生を歩み、円熟の年代になって、なぜ覚せい剤などに手を染めるのか、不思議な気もします。

 でも、私にとっては、この大スターの姿が、覚せい剤事件を通じて出会った、多くの中高年の人たちと重なって見えてしまいます。私は近年、分別盛りの人たちが、たかが覚せい剤のために、家庭も仕事も、社会的な立場さえも投げ打ってしまう姿を頻繁にみてきました。最近、覚せい剤事件の検挙者のなかで、中高年層が占める割合がどんどん増えているのです。
覚せい剤事犯県境者の年齢層
覚せい剤事犯県境者の年齢層※警察庁「平成26年の薬物銃器情勢」および同資料の過去年版のデータに基づいて、筆者がグラフ化したもの
 中高年の覚せい剤事犯者の多くは、若いときから覚せい剤を使い、何度か逮捕され、服役もして、それでもまだ覚せい剤と縁が切れない人たちですが、その中に少数ながら、中高年になって、人生で最初の逮捕に遭遇する人たちもいます。

 それまで着実に生きてきた人が、人生の折り返し点まで来て、覚せい剤事件を起こすに至ったケースでは、その背景に、中高年の辛さ、生きにくさが垣間見えることが多いものです。

 会社の中核として、一家の主として、責任が重くなるいっぽう、体力や気力に陰りが見え始める40~50代の時期。若い頃なら乗り切れたはずの難局が、中高年になった今では果てしない困難に見えてしまうこともあります。そんなとき、心の隙間に覚せい剤が入り込んでしまうのです。きっかけとなったのは、会社内の異動、転職、新規事業の負担、業務不振、自営業者では資金難など。

 しばらくの間、覚せい剤は、折れそうになった心を奮い立たせ、すり減った心身に開放感をもたらしてくれるように見えましたが、間もなく、彼らの心だけでなく、生活さえも変え始めます。薬効がきれた途端に襲われる苛立ちや、異常なまでの不機嫌、わけもなく増大する猜疑心、不安。活力をつけてくれるはずの覚せい剤が、いつの間にか、状況をもっと悪くしてしまうのです。

 私が出会った人たちの話をしましょう。しかし、私が仕事で手掛けたケースを披露するわけにいかないので、ここで紹介するのは、良く似た複数の事例をまとめ、多少の脚色も加えた仮想事例です。

転職のストレスが引き金になったAさんの場合

50代のAさんは、それまで勤めた大手会社の業務縮小のため、中堅企業に転職したことで、生活が一変しました。管理職とはいえ、新規顧客の開拓に苦労し、連日の残業で疲れがたまり、不眠に悩むようになっていました。また、ボーナスが減額したことで、毎月の住宅ローン負担が増え、妻はパートの勤務時間を増やし、夫婦の間も気まずくなりました。
そんなとき頭をよぎったのは、バンド活動に熱中していた若い頃に、時々使ったことのあるマリファナでした。そういえば、行きつけの店のマスターは、どうやらマリファナの愛好者らしいと思いつき、冗談半分で話してみると、意外にすんなり入手先の電話番号を教えてもらうことができました。

紹介された相手に何度か会い、大麻を買った後、ふと「最近、気力がなくなって」と口にしたところ、相手の密売人が勧めてきたのが覚せい剤でした。Aさんは、これまで覚せい剤を使ったことがないので、最初はためらいましたが、相手はガラスパイプで使う方法を詳しく教えてくれ、パイプをおまけにつけてくれました。
帰路、Aさんは車を人気のない大きな駐車場の奥にとめ、車内で初めての覚せい剤を使いました。その後、覚せい剤を使うのはいつも深夜、同じように車を走らせて人気のない場所を探したり、ときには家族が寝静まった後、トイレでパイプを炙ることもありました。

最初は週末だけ、それもごく少量を使っていたAさんですが、間もなく使用回数も使用量も増え、1年ほど経った頃には常用するようになり、そして、薬効が切れた時の苛立ちや気分の落ち込みは、耐え難いほどになっていました。
この頃のAさんは、人が変わったようだったと妻は言います。ひどく不機嫌で、家族に怒鳴り声をあげ、夫婦の溝は限りなく深くなっていました。会社でも、浮いた存在だったのではないかと妻はみていました。

破局が訪れたのは、さらに1年ほど経ったときです。いつもの入手先の密売人から覚せい剤を買ってしばらく歩いたところで、いきなり警察官にとり囲まれました。実は、この密売人は、当人も気付かないまま警察の泳がせ捜査の対象になっていて、Aさんが買い受ける場面を警察官が遠巻きに監視していたのです。