人間関係の流動化が進む現代


 LINEの「既読」表示は、東日本大震災時の経験から、受信者が返事を出せるような状況になくても、とりあえずメッセージを読んだことだけは送信者に分かるようにと考案された機能である。しかし、若者たちの多くは、むしろ「既読」表示があるからこそ、返事をすぐに送らないと相手に悪いと感じ、不安に駆られてしまうという。アプリの開発側の想定からすれば、見事なまでに反転した使用法が見受けられるのは、何か具体的な用件を伝えるための道具としてはでなく、つながっていることそれ自体を確認しあうための道具として、LINEが駆使されているからである。

 今日では、人間関係の流動化とインターネットの発達が相まって、既存の組織に縛られない自由な交友関係を築きやすくなっている。制度上の制約から不本意な相手との関係を強制されるような事態は減ってきた。しかし、そうやって実現した軽やかな人間関係は、他面では脆く壊れやすいという面も併せ持っている。制度的な枠組みが人間関係をかつてほど強力に拘束しなくなったということは、裏を返せば、それだけ制度的な枠組みが人間関係を保証してくれる基盤ではなくなったことも意味するからである。

 このように今日では、人間関係が自由になったことの代償として、その不安定さも増してきている。既存の組織や制度に縛られることなく、付きあう相手を勝手に選べる自由は、自分だけではなく相手も持っている。したがって、自分が仲間を選ぶ自由は、仲間が自分を選んでくれないかもしれないリスクと表裏一体である。互いに仲間であることの根拠は、互いにそう思っている気持ちの共有にしかありえない。その親密さをつねに確認しつづけていないと維持していくことの難しい関係であるため、絶えざる不安のスパイラルへと陥っていきやすい。

 このような事態が進んできた結果、安定した自己承認を仲間から得ることは、今日の社会ではむしろ難しくなっている。そんな状況下で少しでも安定した人間関係を営み、自己承認を受けつづけるためには、できるだけ価値観の似通った者どうしで仲間関係を保持しておいたほうが得策である。人間関係の流動性が高まった社会のなかで、しかし同質な相手だけを探してつながり、互いに分断化された世界を生きるようになってきたのはそのためである。冒頭で述べたように、ネットもまたそのためのツールとして駆使されている。それは、少しでも安定した自己承認を得るための防衛策なのである。