自己承認欲求を強める現代人


 しかし、それでも互いの不安が完全に払拭されることはない。とりわけネットを介した人間関係では、全人格的に付きあうことが難しく、断片化した情報を継ぎ合わせながら、期待されるキャラを互いに演じあうことに陥りがちである。したがって、そこで得られる自己承認には、その程度の重さしかなくなってしまう。このとき、互いに一致団結して焦点を定めることのできるターゲットをどこかに作ってやれば、一時的ではあるにせよ、それを核にして人間関係は安定しやすく、自己承認も受けやすくなる。しかし、グループ間の分断化が進行し、互いに異なった世界を生きるようになった現代では、グループの外部にそのターゲットを見つけることが難しい。そのため、しばしばグループの内部にターゲットを探し、そこで暴行事件やいじめ事件が発生しやすくなる。
 このように見てくると、グループの内部で、たとえ被害に遭ってもその状況から逃げ出せない者だけでなく、じつはその加害の側に回っている者たちも、また同様に自己承認への不安を抱えていることが分かる。互いのまなざしを集中させるターゲットをどこかに作ってやれば、集団内における自分たちの居場所は確保される。そのターゲットをネタにいじり回すことで、互いが円滑にキャラを演じる舞台も用意される。共通の関心対象がそのターゲットへ集中されるので、自分たちの不安が一時的にでも和らぎ、関係を維持していくことも容易になるのである。

 グループ内での暴行事件やいじめ事件で、加害側がつねに気にかけているのは、同じグループ内の他の者たちの反応である。被害者をターゲットにしながらも、しかしその反応をじっと凝視しているわけではない。ともかく自分たちが周囲から承認を得るために、仲間のウケを狙うことに必死で、被害者のことはじつは二の次なのである。そのため、自分たちの行為が被害者に及ぼしているダメージの大きさにまで目が届かないことも多い。

 これらの暴行事件やいじめ事件でエスカレートしているのは、じつは被害者への攻撃衝動ではなく、むしろ加害側にいる者たちの承認競争である。ネット上で発生する関係トラブルの多くは、道徳意識が低下した結果ではなく、互いの承認不安から生ずる集団的な自傷行為のようなものである。狭い仲間内で繰り広げられる承認競争の結果、内部での規範意識はむしろ高まっており、そこからわずかでも外れた者が攻撃対象として選択される。むしろそうやって内閉化し、独善化した規範意識の発露としてこそ、これらの事件は理解されるべきものである。