門田隆将(ノンフィクション作家)

 2015年12月5日、映画『海難1890』が封切られた。

 私は土曜日朝の8時40分からの最初の回を観に行った。それは、私にとって、「待ちに待った公開」だったからだ。

 日本とトルコの友好125周年を記念して、両国の合作で制作された『海難1890』は、1890(明治23)年に起こったトルコ軍艦「エルトゥールル号」の遭難事件と、その95年後のイラン・イラク戦争におけるテヘランからの邦人救出劇を描いたものである。

 私は“邦人救出”をテーマに、2015年11月、この二つの事件と、さらに「湾岸戦争(1990年)」「イエメン内戦(1994年)」「リビア動乱(2011年)」を取り上げたノンフィクション『日本、遥かなり』(PHP)を上梓している。

「海難 1890」のワンシーン。エルトゥールル号遭難の場面は圧巻だ=(C)2015 Ertugrul Film Partners
「海難 1890」のワンシーン。エルトゥールル号遭難の場面は圧巻だ=(C)2015 Ertugrul Film Partners
 これらの出来事の中で、窮地に陥り、日本という国から見捨てられ、かろうじて「生」を保った在留邦人たちの姿と怒りを実名証言で描かせてもらった。私は自分自身が取材した出来事を、映画が「どう表現しているのか」を知りたくて、早朝から映画館に出かけていったのである。

 私は映画を観ながら、日本とトルコの友好125周年を記念した作品に相応しいものだと思った。

 目頭が熱くなるシーンが何度もあり、観客の心を見事に捉えていた。人間の真心や友情、国と国との友好の本当の意味というものを観るものに考えさせてくれる映画だった。

 拙著『日本、遥かなり』と映画は、伝えたいことが、根柢の部分で共通していたのではないかと思う。

 人が人を助けるということはいかなることか。そして、国家にとって自国民の救出が持つ意味は何か、そのことが十分表現されていた。

 「どうして、日本が日本人を助けられないんですか!」

 映画の中で、テヘラン在住の日本人教師を演じる忽那汐里(くつな・しおり=二役=)が、日本から救援機がやって来ないことについて、そう叫ぶシーンがある。まさに、この映画の“核”である。

 どこの先進主要国でも行う「自国民の救出」を日本だけがなぜできないのか。それは、そのことに対する痛烈なメッセージだったと思う。