中澤優子(株式会社UPQ CEO・代表取締役)

「ものづくり」と無縁でも「成人」できちゃう日本


 「ものづくり」とは、全くといっていいほど縁のない家庭で育った。両親は体育教師と英語教師。だからといって、勉強にも学校生活にも一切口を出してくるような親ではなかった。たとえ、リレーの選手に選ばれても、通信簿でオール5を揃えても、ほぼ無関心。裕福な家庭ではないが、貧困で苦しいという思いもしたことはなかった。ただ、塾や予備校に通うことと、保険をかけるような私立受験だけは「費用対効果を考えて必要なら」ときつく言われ、結局、高校は都立一本、大学はセンター受験と国立、私立一校ずつだけ受験した。大学まで進学するのは、疑いもせず「当たり前」だと思っていた。

 「ものづくり」と、これまた全くといっていいほど縁の無い学生生活だった。成績は中学までは学内で上から3番にはいつも入っていたと思う。ただ、教師の家庭だからといって、「絵に描いたような学生」ではなかった。小学校、中学校では、意見が合わないと言っては男の子たちと取っ組み合いの喧嘩もしたし、陰口を聞きつけて「女々しい!」と給食の牛乳とスープをその男の子めがけてぶっけかたりもした。理不尽だと思えば先生であっても同じ。テストは意地でも満点を取るが、相手の譲歩や謝罪があるまで授業には一切出席しない。
SIMフリースマホ「UPQ Phone」を紹介するUQの中澤優子社長=2016年2月29日
SIMフリースマホ「UPQ Phone」を紹介するUPQの中澤優子社長=2016年2月29日
 高校時代は(一応)進学校の中で、金髪に他校の制服。「本当に中澤先生の娘か?」と何度となく嫌味(?)も言われた。一方、いわゆる「女の子たちのグループ」だけは苦手で、「○○ちゃんのリボンかわいいね、○○君ってかっこいいよね、キャー!」みたいな会話に混ざることは極力避けてきた。クラスで一番仲の良い子は?と言われると、今振り返ってみてもペアになれる子はいないと思う。それで悩んだこともそんなに無かった。「永遠に続くわけじゃないし」と。人に媚びることを極端に嫌っていた。

 学級委員には決してなれないし向いていないが、体育祭実行委員や文化祭実行委員、応援団長なら自分自身も周りもしっくりくる、と表現すると想像がつくだろうか。そんな学生だった。十人十色のクラスを「ある目標」に向かってまとめ、いろんなメンバーの力を結集し、ゴールする。その「瞬間」しか味わえない魅力があった。いかに「巻き込めるか」。恐怖政治でも、人に媚びるだけでも形式上まとまるかもしれないが、巻き込めない。さて、どうしたらうまくいくか。そういう目線で「友だち」も「先生」も見ていた。 

 どうだろう。ここまで長く書いても、「ものづくり」を生業にしよう!なんて思う出会いすらない。私は31年前、ものづくりの国・日本で、ものづくり全盛の昭和の時代に生まれ、モデルケースになりそうな日本の家庭・学校で育ったものの、ものづくりに触れることなく「成人」した。