世の中にはおかしなことが様々なことがあるが、最近評論家の呉智英氏がおかしいと感じたことは何か。同氏は、「元号」に関する朝日新聞「天声人語」の書き方に異議を呈する。

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 1月9日付朝日新聞の「天声人語」がおかしなことを書いている。衆院予算委で自民党の新藤義孝議員が「平成二十八年、伝統的な数え方では皇紀二六七六年」と発言したのがけしからんというのだ。和暦の年号(元号)は大化以来千四百年の伝統があるのに、たかが明治以来の皇紀を伝統的だとするのがけしからん、と言いたいのかと思ったら、そうではなかった。自民党の「復古志向」、それも「無遠慮」なところがけしからんというのである。

 自民党の復古志向なるものは、確かにあると言えよう。だが、無遠慮って、何がどう無遠慮なのだろう。異なる歴史観を持つ野党、さらには近隣諸国に対して無遠慮だということらしい。
 どうも、天声人語は紀年法(暦数の方法)ということが分かってないようだ。日本では伝統的に年号が使われてきた。ただ、年号は明治までは数年ごとに変わったし、明治以降は一世一元制になったけれど、それぞれに年数が違うため、通歴計算が難しい。そこで通しの紀年法が必要とされ、皇紀が定められた。

 皇紀は神武紀元とも呼ばれるように、神武天皇即位の年を皇紀元年としている。もちろん、これは神話に基いている。

 それなら、天声人語が奨励しているらしい西暦はどうか。西暦はキリスト教暦とも言うように、キリスト生誕年を西暦元年としている。そのキリスト生誕年も、歴史学者の多数はBC4年説を採る。キリスト生誕はキリスト生誕の4年前、というおかしなことになる。それで別段問題が起きないのは、これがもともとキリスト教神話に基いているからである。皇紀だろうと西暦だろうと、宗教基準なのである。

 私はキリスト教徒ではなく、日本神話も信じていないけれど、通常、西暦を使用している。それは通歴計算に便利だという「利便性」の一点である。皇紀を使わないのは、通歴計算に便利だとはいえ、欧米の歴史と比較する利便性がないからである。

 これは英語学習と同じである。事実として経済的にも外交的にもアメリカが覇者であるから、英語が優勢言語であり、その学習が奨励されるのであって、英語が「正しい言語」だからではない。あくまでも利便性の故である。西暦も同じく「正しい紀元法」であるはずがなく、キリスト教文化圏が優勢である以上、利便性が高いからにすぎない。むしろ「無遠慮」なのは、西暦の方であり、それを奨励する方なのだ。

 世界中には、西暦を使用しない国も多い。東南アジアには仏暦を使用する国々があるしイスラム国ではイスラム暦が使われている。

 21世紀に入って、イスラム勢力の「反攻」が目立つ。万一彼らが勝利して、イスラムの世界制覇が実現したら、天声人語はそれでも「無遠慮」にキリスト教暦を奨励するのだろうか。私は利便性の前に膝を屈し、涙を飲んでイスラム暦を使うつもりである。

●くれ・ともふさ/1946年生まれ。京都精華大学マンガ学部客員教授、日本マンガ学会理事。著書に『バカにつける薬』など。

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