渋井哲也(フリーライター)

 「週刊文春」(2月25日号)の記事「元少年Aを直撃」はネットでも話題となった。さすがに目を伏せてはいたものの、メディアで初めて、元少年Aの近影を晒した。近影はこれまで、自身が開設したホームページ「存在の耐えられない透明さ」で、顔を隠した格好で公開してきた。第三者による撮影では初めてだったのではないだろうか。ちなみに、この原稿を書いている3月2日現在、彼は、週刊文春の記事に関して、ホームページ上では何も語っていない。

 本物だったのかどうかはわからないが、週刊文春記者の直撃では、「元少年A」だということを否定している。その上で、当人は「命がけできてんだろ。なあ。命がけできてんだよな。お前、そうだろう!」と答えている。本物ではないと見ることもできるが、仮に本物だとして、メディアの取材にこう答えてしまうのは「ネタ」を提供するようなものだ。不意打ちだったから、咄嗟に答えてしまったのかもしれない。しかし、「どう見られているのか?」を意識せざるを得ない注目の人物の言動とすれば、浅はかさを露呈してしまった。

 そもそも、彼が再び猟奇的な殺人をする「Xデー」があり得るのかを考えると、現段階では可能性は低いと私は考えている。彼は『絶歌』(太田出版)で「自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの『生きる道』でした」(P.294)と述べている。つまり、彼には、出版という表現手段を得て、「元少年A」という表現者として、世間に登場したことになる。
東京都内の書店に並べられた、神戸連続児童殺傷事件の加害男性が「元少年A」の名前でつづった手記「絶歌」
東京都内の書店に並べられた、神戸連続児童殺傷事件の加害男性が「元少年A」の名前でつづった手記「絶歌」
 彼にとっては「書くこと」は「生きる道」だ。もちろん、『絶歌』の出版は賛否両論がある。事件の舞台となった神戸市の図書館では取り扱わないとの方針まで出た。出版という手段だったことも手伝って、表現したことがバッシングがなされた。出版への反対意見が強まれば、「書くこと」が制限され、「生きる道」を閉ざされる心配はあった。

 しかし、「週刊文春」や「週刊新潮」、「女性セブン」に資料を送りつけてまで、彼自身はホームページの存在を知らしめた。表現の場を確保したことをアピールしたのだ。さらには有料のブロマガまで発行しようとした。私がメールで取材依頼をしたことへの返答もこのブロマガでなされた。