大貫啓行(危機管理能力開発機構理事長、元警視監)

 兵庫県警が、旅券法違反や公正証書等不実記載などの容疑で元少年Aを逮捕するのではないかと、マスコミ各社が元少年Aに注目した。昨年初秋のことだ。昨年6月に元少年Aの名義で手記「絶歌」を出版し、25万部も売れるなど世間を騒がせたこともあって、喧々諤々の議論が聞かれた。

 少年法の目的などとの整合性、連続殺人という少年法である意味守られてきた過去の犯罪に比べて今回の逮捕容疑犯罪が軽いことなどから、警察当局の判断について様々な意見が聞かれた。少年法には様々な問題があり、国民的な議論で改正する必要があることは大方の意見が一致しているだろう。何よりも元少年Aの更生が失敗したことはだれの目にも明らかだ。

 元警察官の経歴を持つ者として、読者諸氏が最も関心のあると思われる、この事件を着手する際の社会的意義、特に警察の判断の背景などを一私人、個人の立場から紹介してみたい。
 実は警察幹部が事件を判断する際に「事件価値」というものがある。事件価値というあいまいな概念はなかなかわかりにくい。警察が強制捜査に踏み込む際には、担当捜査幹部による総合的な判断がなされる。今回の事件では兵庫県警本部長に加え、警察庁担当部局にも相談しているだろう。証拠に基づく犯人の特定や犯罪成立に関する教科書的な構成要件、違法、有責といった基本的な逮捕の前提となる諸要素のほか、事件の悪質性、世間への影響、世間の関心の高さなど様々な要素があり、それらをまとめて事件価値という。

 同時に事件価値の判断には、警察当局のその時々の考え方・意図が最も鮮明に込められることになる。元少年Aの場合でも警察当局は逮捕に踏み切るべきか否か、事件価値を判断することになる。

 警察当局には「少年法の呪縛」というような思いがのしかかっている。今回の事件に関しては、少年法の目指す「少年の健全育成」という理想の呪縛がある。「性格の矯正」「環境の調整」などの保護処分や「刑事事件について特別な措置」を講じて、少年を健全に育成するという理想の追求がうたわれている(少年法1条)。

 我が国の少年法制は、占領下、GHQ関係者の理想主義に基づいたある意味で実験的な立法という側面があったといわれる(少年法の制定は昭和23年7月15日、施行は昭和24年1月1日)。

 アメリカの少年法制に比べてもわが国の少年法制は理想主義色が濃い。進駐軍はある意味わが国で実験しようとしたのだろう。その根本は、少年は健全に育成できるという「性善説」に基づいている。しかし、現実は犯罪少年の矯正、再教育は困難を極める。どの国でもどうしたらいいのか議論が続いている。

 今回の容疑者は、犯行時成人になっている元少年Aということになる。既に成人であるから少年法が影響することはない。成人だから成人として淡々と判断すればいい…と一応はいえるが、現実的には元少年Aの実名などが白日の下にさらされることになることは否定できない。

 しかし、元少年Aの再度の犯罪であることで世間の注目度が高く、結果的に少年時代に犯し少年法で守られてきた多くのことが改めて掘り起こされ、暴かれることになる。少年法は成人してから再犯者となった人物の、それまで守られてきた少年時代の情報保護の縛りを解除することを想定していない。新たな立法が必要になるだろう。