夜の10時から始める「詩の礫」はほとんど即興なんです。2時間くらいの間に60~100くらいツイートをするのですが、朗読をするときのように、ゆっくりツイートをしていって、最後はたたみかけるように短い言葉を連続的にツイートをしたり、リズムをつくったりすることができるんです。私は20代のころからずっと詩の朗読をやっているのですが、朗読会の感覚と似ているんです。

和合亮一氏のツイッター
和合亮一氏のツイッター

 「詩の礫」では「ぶっ殺してやる」とか、地震を「めちゃくちゃにしてやっぞ」とか乱暴で攻撃的な言葉も出てくる。これはやっぱり物を書いているからこその感覚かもしれませんね。書くってことは引っ掻くっていうことから語源がきている。ある意味、大なり小なり攻撃的な何かってのは必ずあるわけですね。地震を「めちゃくちゃにしてやっぞ」っていうのは本当にこの言葉通りで、地震をやっつけてやるみたいな気持ちなんです。ここまで追いつめられたのであれば歯向かってやるみたいな、窮鼠猫を噛むみたいな感じです。書けば書くほど怒りが増していって、来るなら来いっていう気持ちにどんどんなっていきました。

 その時はアパートにいたのですが、残っているのはほとんど私だけ。どんなに大きな地震が来ても家具が倒れても、アパートが壊れても最後まで書くっていう気持ちになっていました。一人で泣いたり、大きな声でワーって叫んだりしたこともありました。眠れないし、食べるものもないし、水もないし、お風呂にも入れない。毎日風呂に入らないと駄目なタイプなのに、十日ぐらい入れなかったのがこたえました。
福島県双葉町(撮影:川畑希望)
福島県双葉町(川畑希望撮影)

 放射線の問題もあって外にも出れませんでしたし、ひたすら言葉にしがみついていたというか。頭が白熱していて地震が起きてもツイッターを止めず、パソコンを抱えて打ちながら、階段を下りていくというようなことが何回もありました。階段を降りて、アパートのドアを開けてしまうと放射線が高いから、ドアをあけるべきかどうかの瀬戸際で、入り口でパソコンを打っていたことが思い出されます。

 詩の中で「明けない夜は無い」っていう言葉が繰り返し出てくるのですが、特に3月16日に書いた時は、すごく絶望しているんです。「地震と放射能を道連れに」っていう言葉のあと、最後に「明けない夜は無い」って書いたのですが、これは無意識に、自然に湧き出たものです。詩の最後の区切りに書くようになって、「明けない夜は無い」って書くと、詩の終わりなんだっていう印になっていった。今でも詩の礫のサインを書くときに、明けない夜は無いって書いてくださいって言われることがあります。無意識というか、浮かんだことをそのまま書いているので、祈りを込めて書いたのだと思います。

 震災から5年が経ちました。「明けない夜は無い」っていうその言葉を改めて考えると、まだ本当に明けてはいないですね。夜明けっていうのはいつ来るんだろうって考えると、呆然としてしまうところがあります。

 避難者が十万人超えたり、孤独死や震災関連死が増えたり、補償が打ち切りになったり、汚染土が未だに行き場がなかったり…。家族を失った悲しみは到底癒えるものではありません。『詩の礫 起承転転』(2013年、徳間書店)に書きましたけど、やっぱり「無かったことにされちまうんじゃないか」っていう、そういう不安を持っているんですね。