岩田温(政治学者)

 これほどまでに期待されていない新党も珍しい。民主党と維新の党が合併し、新党が結成されるというのだが、多くの国民が無関心であり続けている。

 新党に期待できないと感じている国民の理由は、「一体何のための合併なのか」が見えてこないからであろう。参議院選挙に備えた政治家の都合による数合わせの「野合」にしかみえないし、実際に、どのように好意的に解釈してみても、「野合」以上の意味を見出しにくい合併だ。



共同会見を終え握手を交わす民主党の岡田克也代表(中央右)と
 維新の党の松野頼久代表(同左)ら=2月26日、国会内(斎藤良雄撮影)
共同会見を終え握手を交わす民主党の岡田克也代表(中央右)と 維新の党の松野頼久代表(同左)ら=2月26日、国会内(斎藤良雄撮影)
 「民主党」という名前には、「民主党政権」時代の負のイメージがつきまとっているという。確かに、あの民主党政権を素晴らしい政権であったと手放しで賞賛する国民は殆ど存在していないだろう。多くの国民が期待を裏切られたと感じているのは間違いのない事実だ。しかしながら、政党の名前を変えたところで、中身が変わらないことには、何も変化がないといわざるをえない。政党名さえ変更すれば、中身は同じでも国民の支持を得られるであろう、と考えているとすれば、それは随分と国民を軽蔑した発想と言わざるをえない。

 私はリベラルな政党が存在することの意義を否定しない。基本的に私自身は保守政党を支持するだろうが、政権交代の不可能なシステムでは政治が腐敗する。政権交代が可能なリベラルな政党が存在することによって、保守政党も緊張感をもって政治に取り組むことになるのは、当然のことだろう。日本政治を大局的に俯瞰すれば、リベラルな政党が存在していた方が、政治全体の活性化に繋がるであろう。

 また、保守政権が見逃しがちな社会的弱者の声を代弁し、労働者の権利を守り、マイノリティーの意見を政治の場に持ち込むこともリベラルな政党の果たすべき役割で、その存在意義は大きい。その意味において、私はリベラルな政党を待ち望む一人であるといってよい。

 だが、日本においてリベラルを標榜する政党は、現実的に分析すると、どうしても、国政を担わせるには危険すぎると思わざるをえない。日本における「リベラル」の、アキレス腱は安全保障政策に他ならない。

 彼らは社会的弱者の権利を守ることや労働問題に熱心に取り組むが、議論が安全保障政策に及ぶと、突如として、極端な解釈に終始し、「九条を守れ!」、「立憲主義を破壊するな!」とスローガンを繰り返すだけで、現実的な安全保障政策を語らない。

 安全保障政策における極論を排し、現実主義的なリベラルに生まれ変わることこそが重要なのだが、民主党はその逆の方向に舵をきっているように思われてならない。