第一案 争点にしない

 逆説的な意見から論じよう。安倍自民党内閣は憲法改正など口にすらすべきではないとの意見である。

 もちろん、本稿では護憲派など眼中にない。「アベ政治を許さない」「戦争法案」「戦争したくなくて震える」「安倍に戦争をさせるな」などと現実を無視した扇動をしている勢力を相手にすること自体が、利敵行為である。将棋の格言に「遊び駒を相手にしてはいけない」とあるが、「働き場を無くしている敵を攻撃することは、相手を活発化させ味方を疲弊させるだけ」との意味である。そもそも、護憲派の総大将が岡田克也である以上、彼らが多数の国民の支持を得ることはない。よって、歯牙にもかける必要が無いのだ。むしろ昨年の安保法制論議では、「護憲派は狂ったことを言っている。護憲派よりもまともな事を言っている我々改憲派は賢いのだ」という態度が多数の中間的な国民の反感を買わなかったか。「安倍自民党改憲案への批判者は護憲派」のような態度は厳に戒め、我が国にふさわしい憲法とは何か、それを実現するにはどのような戦略戦術が必要かを論じるべきであろう。

 自民党改憲案に反対する論者の中にも安倍内閣の支持者は多いのだから、耳を傾けるべきだろう。こうした立場から第一案に立つ論者の要旨をまとめると、「長期計画を持て」「急がば回れ」「玉砕的な無謀な戦いはしてはならない」である。
憲法改正を求める集会で、安倍晋三首相はビデオメッセージを通じ「国民的コンセンサスを得るに至るまで(議論を)深めたい」と訴えた=2015年11月10日、東京都千代田区の日本武道館(野村成次撮影)
憲法改正を求める集会で、安倍晋三首相はビデオメッセージを通じ「国民的コンセンサスを得るに至るまで(議論を)深めたい」と訴えた=2015年11月10日、東京都千代田区の日本武道館(野村成次撮影)
 安倍首相は再起に当たり、「まず経済」を強調した。第一次内閣の退陣後、日本経済は悪化の限りをたどり、バブル崩壊以前からの不況と合わせ「失われた二十年」とも称された。憲法問題を普及する運動を広めようと集会を開いても、若者などは生活が苦しく、そんな集会に参加する余裕が無い。そもそも選挙で憲法が争点になることなどありえなく、圧倒的多数の国民の関心は経済である。たかが経済問題ごとき軽く解決できなくて、何が戦後レジームの脱却か。されど経済問題すら解決できなくて、他の何がなしえようか。

 安倍首相は不況の原因が当時の日本銀行だと看做し、自らの意を汲む黒田東彦総裁と岩田規久男副総裁を送り込んでアベノミクスを開始した。適切な金融政策を行えば株価は上がる、株価が上がれば支持率が上がり選挙に勝つ。選挙に勝つから与党自民党議員は安倍内閣についてくる。安倍内閣が「株価連動政権」と呼ばれるゆえんである。平成二十六年三月に就任した当時の岩田副総裁は「二年でデフレ脱却」を公言していた。安倍首相の周辺には「戦後レジーム脱却への施策を急げ」とする保守層と、「デフレ脱却までは経済に専心すべきだ」との非保守層の二つの路線が介在していた。

 後者の立場からは「憲法問題など争点にすべきではない」との結論が導き出される。選挙で票が逃げるばかりであり、景気回復はいまだに達成できていない。そもそも、なぜ景気回復が遅れているのか。自らの命綱であるアベノミクスを、消費増税八%によって破壊したのは安倍首相その人ではなかったのか。たかが財務省との権力闘争に負けたような総理大臣に憲法改正のような大事業など可能なのか。八%増税の悪影響はいまだに強いが、経済に専念しなくてよいのか。八%増税で失ったものを取り返すには、消費税を五%に戻す以外にないのではないか。憲法改正など、不況から完全に脱却してからでも遅くないのではないか。第一案の「憲法改正を今次参議院選挙で争点にすべきではない」との論者には、説得力がある意見が多い。少なくとも、安倍自民党の改憲案に反対だからと、護憲派如きと十把一絡げにするような愚をおかしてはならない。

 この論に対する反論は一つだ。憲法改正とは、根回しを積みあげる行政行為ではない。究極の政治である。政治とは戦いである。戦いに勝つのに最も肝要なのは、戦機を掴むことである。これを孫子は「己を知り、敵を知らば百戦して百勝す」と述べた。確かに安倍内閣の体制は盤石ではないかもしれない。しかし、敵を見よ。選挙の相手は岡田克也なのだ。この千載一遇の好機を逃してよいのか。

 現実の政治論をもう一つ加えれば、安倍首相は公明党や自民党護憲派の抵抗にもかかわらず、再三再四「任期中に憲法改正をやり遂げる」と明言している。それには参議院選挙の勝利が不可欠であり、ここを逃せば、もう勝つ機会はない。すなわち不戦敗はレイムダックなのだ。

 アベノミクスを主張する論者の中には様々な観点から改憲論への批判もあろうが、その主体である安倍内閣が死に体になっては、景気回復すら覚束ないのだ。

 本稿でも以上の政治的状況を踏まえ、どのような改憲論を打ち出すべきかを論じているのである。