第二案 七条と五十三条

日本国憲法
第七条
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。

第五十三条
内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、【要求があった日から二十日以内に】、その召集を決定しなければならない。
【 】内は自民党改憲案に基づき、補足。

 多くの日本人は、日本国憲法に誤植があることを知らないだろう。天皇の国事行為を列挙した七条の四号を見よ。「国会議員の総選挙」とある。衆議院の解散とは「代議士を全員クビにすること」であり、必ず総選挙となる。ところが参議院は半数ごとの改選であり、衆参同日選挙となっても、国会議員がいなくなることはありえない。現に参議院選挙は「通常選挙」と呼ばれる。つまり、日本国憲法ある限り「国会議員の総選挙」などありえないのだ。

 憲法なのに誤植がある。その誤植一文字すら日本人は変えられずに七十年もすごしてきた。そして、この恥ずかしいこと極まりない事実を、どれほどの日本人が知っているだろうか。むしろ多くの日本人は、「内容が時代に合わないけれど、平和憲法にも効用があった」と思っているだろう。だから、改憲派は言論戦で負けっぱなしのマイノリティーであった。

 日本国憲法は完全無欠ではない。この無謬性の打破こそが突破口である。

 そもそも、誤植一文字削れなくて、他の何ができるのか。

 また、反対するとしたら理由は何なのか。第二次安倍内閣が元気だったころ、三年前の参議院選挙で九十六条の厳しすぎる要件の改正を打ち出したが、産経新聞フジテレビ以外のすべてのマスメディアがいっせいに反対し、公約にすらしなかった。不戦敗である。その時の論拠が「要件を緩和すると、憲法改正がたやすくなる。戦争をする国になる」であった。少しでも憲法学をかじった人間からすると噴飯ものの主張だが、憲法のことなど知らなくても生きていける多数の国民を不安がらせるには十分なアジテーションだった。

 では、七条改正に際して護憲派は同じ主張をするであろうか。するならば、やってもらえればよい。

「七条の誤植を削ると戦争になる」

 社民党の福島瑞穂氏あたりなら言いかねないが、使い方は間違っているだけで地頭(ぢあたま)はいい共産党はプライドが邪魔して反対できまい。また、護憲派ながら論理に拘る公明党にも反対する理由が無い。

 仮にその状況で、日本国民の多数が誤植一文字の削除も許さないような狂信的護憲派に与するようならば、いかなる憲法改正もあきらめるしかないではないか。

 日本国憲法に誤植があるという事実を知らせること自体に意味がある。そして狂信的護憲派が「誤植を削れば戦争になる」と絶叫してくれれば、それ自体が“曝しあげ”になるではないか。

 もう一つ、今次参議院選挙でのみ使える争点がある。五十三条である。

 昨年末、岡田克也氏率いる野党は憲法の規定に従い臨時国会の開催を要求した。野党が衆参いずれかの四分の一の数を集め臨時国会の召集を要求した時は、内閣は応じなければならないとの規定に従っての事だ。しかし、五十三条の規定には期限が明記されていない。安倍内閣は外交日程などを理由に拒否し、一月からの通常国会の開会を早めることで対応した。

 当然、岡田氏は憲法違反をなじり、自民党改憲案にも「内閣は、臨時国会の召集を決定することができる。いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があったときは、要求があった日から二十日以内に臨時国会が召集されなければならない」とあるではないかと迫った。

 つまり、野党第一党党首である岡田克也氏が指摘する日本国憲法の不備であり、改正を要求している条文なのである。改憲派にとって幸いなことに、どうやら岡田克也氏は新党結成になっても参議院選挙まで党首の地位に留まるらしい。これを奇貨とせず、何とするか。

 安倍内閣は、五十三条を「岡田さんが言い出したことなので一緒にやりましょう」と打ちだすべきだ。まさか岡田氏も自分の言い出したことに反対するほど非常識では無かろう……とは自信を持っては断言できぬが……仮にそのような態度をとった場合でも与党や改憲派に損はない。

 こうした政局論、現実論から離れて、本質的な憲法論をする。

 我が国に限らず、野党第一党が反対する状態での憲法改正は避けたほうが良い。文明国の憲法運用は、「憲法観の合意」を重視するからだ。

 たとえば、オーストリア憲法は繁雑なので有名である。数えようによっては一四〇〇条にものぼると聞く。たとえば「健全財政条項」などは二大政党が合意しただけであるが、憲法に含んでいる。日本で言えば「三党合意」のようなものまで「憲法」に含めているのである。戦前のオーストリアでは政争が激しく、オーストリア・ナチス党に付け入る隙を与え、最後はドイツに併合されて亡国の憂き目を見た。この反省から、戦後は二大政党の合意を憲法として扱うようになっているのだ。

 また、我が国と同じ敗戦国のドイツでは憲法に当たる基本法を五十回以上改正していると語られることが多いが、これには前提がある。

 ドイツ憲法第二十一条
第二項  政党で、その目的または党員の行動が自由で民主的な基本秩序を侵害もしくは除去し、または、ドイツ連邦共和国の存立を危くすることを目指すものは、違憲である。違憲の問題については、連邦憲法裁判所が決定する。 

 内容は、戦前日本の治安維持法と同じである。国家秩序を危うくする政党、すなわち極右のナチスと極左の共産党を禁止しているのである。そして一番右と一番左の両端を切り捨てた圧倒的多数のドイツ国民の合意により発議するので、我が国と同じ三分の二条項であっても、必要に応じた憲法改正が可能なのである。

 そして、憲法政治の母国である英国でも、二大政党の合意は重要視される。英国の憲法は「日本国憲法」「○○国憲法」のような形で、文字でまとまっていない。英国憲法の中心は、慣例の蓄積である。小さなことでは、衆議院議長を輩出した選挙区に反対党は対抗馬を立てない。大きなことでは、「政争は水際まで。国益に反するような反対党への攻撃は慎む。特に国際問題を政局に利用しない」などがあげられる。これらの合意は、どこにも明文化されていないが、英国憲政数百年の歴史の蓄積の上で、憲法習律と呼ばれる慣例として憲法体系に組み込まれている。英国は常にアイルランド問題を抱え、伯仲議会では彼ら少数派の発言力がまし、連合王国の存続を脅かすような危機を何度も経験し、乗り越えている。その知恵が、二大政党の合意により憲法体系を維持することなのである。

 このように、二大政党制だろうが少数分立制だろうが、憲法とは国家的問題である以上、主要政党(特に二大政党)の合意に基づいて憲法を護る(立憲主義)、あるいは改憲を行うのは、世界の文明国の常識なのである。

 逆を考えよう。野党第一党が反対の中で憲法改正を強行した場合、その多数がひっくり返った場合にどうなるのか。革命に近い状況が発生し、法的安定性が損なわれる。何が何でも野党第一党のご機嫌をとれと言っているのではなく、憲法改正は主要政党の合意に基づいて行うのが常道なのである。

 我が国では、長らく日本社会党が野党第一党を占めていたので、想像しにくいかもしれない。この政党は「日本は共産主義者に支配されるべきだ」と企む左派と、「共産主義者の侵略から日本を守るためには改憲が必要である」と主張する右派の野合により結党された。

 徐々に左派の勢力が強くなり、「与党になって責任をとりたくないので衆議院の五〇%の議席はいらないが、憲法改正阻止を訴えて当選したいから衆参どちらでも良いので三四%の議席は欲しい」とする護憲政党と化した(その過程で、右派は離党し、民社党に流れた)。これでは「自主憲法、自主防衛」を党是とした自民党との間で、二大政党の合意など成立するはずがない。

 そして現在の野党第一党党首の岡田克也氏の体質は、往時の日本社会党そのものである。政界の常識に照らせば、二大政党の合意など夢物語である。ところが、岡田氏本人が五十三条改正を言い出してくれたのである。これに乗らない理由があろうか。

 憲法は決して変えられないものではなく、日本国民の手によって変えたという実績を作ることが重要であるとの主張がある。また、九条のような対立的な論点ではなく、合意が形成しやすい条文から改正すべきだとの意見もある。

 五十三条改正は、野党の権限を強化する改憲である。えてして憲法改正と言うと、政府与党の権力を強化するためであるとの扇動がなされるが、ならば野党少数派の意見を無視しない運用をするための改正ならば良いのではないか。少なくとも多数派の横暴との批判はできない。

 七条と五十三条の改正を今次参議院議員選挙で議論すべきだと表明しているのは、日本のこころを大切にする党である(二月十八日中野正志幹事長記者会見)。

 論壇にでも、七条に誤植がある事実を取り上げる向きがある。『正論』平成二十八年四月号で「参院選まで残された時間は少ない。憲法改正派の多くが一致して納得できる戦略が早期に打ちだされ、改正機運がさらに高まるよう願っている」との趣旨で、「緊急大アンケート」が行われた。

 最も明確に「七条改正」を打ち出したのは、江崎道朗氏である。西修氏、八木秀次氏も言及している。改憲派は江崎氏の戦略の下で一致団結、日本のこころを政界への突破口とし、国民的合意をいち早く形成すべきだろうと思考する。

 五十三条と合わせれば、二点突破になるわけだが、一点突破は一か八かの危険な策であるし、三点ではわかりにくい。七条と五十三条ならば絶対に改悪にならない。よって重要な条文と妥協的な条文の両方を出した場合に懸念される、いわゆる「食い逃げ」の心配もない。