第三案 緊急事態条項

 自民党は「緊急事態条項」の改正から憲法改正をしたいとの報道がなされている。東日本大震災時に統一地方選が予定されていたが、あの時は東北地方での選挙は法律に従い延期された。しかし、国会議員の任期は憲法で規定されているので、もし大災害が起こっても延期できない。だから憲法改正で緊急事態条項を設け、改善しようとのことである。しかし、それこそ大山鳴動してネズミ一匹の類にならないか。

 ついでに言うと、国会議員の任期延長は帝国憲法下で一度だけある。悪名高い「翼賛選挙」である。昭和十二年総選挙で当選した代議士の任期は「非常時」を理由に一年延長され、昭和十七年に「翼賛選挙」が行われた。誰がどう考えても、朝日新聞の見出しが目に浮かぶようではないか。

 別に緊急時における国会議員の任期延長が必要ないとは言わないが、下手な打ちだし方をすれば攻撃材料を与えるだけだとの認識は持つべきだろう。

 そもそも、「緊急事態」とは何なのか。

 二年前に書いた小書『間違いだらけの憲法改正論議』(現在は版権終了による絶版。古本で買い求めるか、図書館で読まれたい)から抜粋引用する。

自民党など5つの政党が緊急事態条項の新設に言及した衆院憲法審査会=2015年5月7日
自民党など5つの政党が緊急事態条項の新設に
言及した衆院憲法審査会=2015年5月7日
改憲派が想定する「緊急事態」とは何なのでしょうか。
自民党改憲案では「外部からの武力攻撃、内乱などによる社会秩序の混乱、地震などによる大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」となっています。
すでにツッコミどころが四点あります。
  
第一に、「外部からの武力攻撃」など真の有事ではありません。
たしかに平和が破られているから平時ではありませんが、ほかの国と交戦になったときのことは、別に憲法で定める話ではなく、法律で対応可能な話です。
問題は「終戦のご聖断」のような、何も決められないときに、誰がどうするのか、です。
憲法で想定しなければならない真の有事とは、あの敗戦直前のような状態に陥ったときのことです。
  
第二に、「内乱等による社会秩序の混乱」は、確かに有事にあたります。
二.二六事件では、総理大臣が行方不明になり、閣議ひとつ開けず、政府や軍の高官が多数殺され、誰も何も決められない状態です。
やはり、このようなとき誰がどうするのでしょうか。
  
第三に「地震などによる大規模な自然災害」です。これはもう、皆さんの記憶に新しいでしょう。
東日本大震災の時の総理大臣が誰だったか、彼が何をして、何をしなかったかを思い出して下さい。
阿鼻叫喚の地獄絵図でした。菅直人氏が総理大臣だったらあきらめるしかない、というのは真面目な憲法論ではありません。
真の憲法論とは、この地獄絵図に、総理大臣が菅直人氏だったらどうするのかを考えることです。
  
第四に「その他の法律で定める緊急事態」とは、なんのことでしょうか。
あらかじめ法律で定められた緊急事態に対処できるのは当たり前です。
真の有事とは、想定もできないような事態のことです。それこそ東日本大震災では「想定外」が連発されましたが、「想定外」の事態に対処するからこその危機管理です。
危機管理の基本は、「何が起きるかわからないから万全を期す。想定もしていないようなことが起きるときのことこそ普段から考えておく」です。その意味で、自民党改憲案などは不真面目きわまりないと言えるでしょう。
  
自民党改憲案を支持する人に問いたい。あなたが支持する憲法案で、菅直人氏が総理大臣でも大丈夫なのですか。
いまの日本国憲法を守りたい護憲派の人にも問いたい。あなたは、いざというときに、菅直人氏が総理大臣でもいいのですか。日本国憲法は、敗戦のような大混乱や二.二六事件のような無秩序状態や、大震災のときに菅直人氏が総理大臣であるような状態から守ってくれるのですか。

 現状では、ここに書いたことを何一つ変更する必要を認めない。

 真の緊急事態とは、内閣機能が麻痺した状態の事である。自民党改憲案の緊急事態条項を見よ。
 
第九十八条(緊急事態の宣言)
第一項 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。 
第二項 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。 
第三項 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。 
第四項 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。 
第九十九条(緊急事態の宣言の効果)
第一項 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。 
第二項 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。 
第三項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。 
第四項 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

 緊急事態に対処する主体は内閣総理大臣である。関東大震災のような首相不在、二.二六事件や終戦の御聖断のような内閣機能不全のとき、自民党案は無力ではないのか。

 また、「内閣独裁をうむのではないか」との懸念もある。護憲派の粗雑な議論に与する必要は認めないが、帝国憲法の条文と運用は検証する必要があるだろう。

 ただ、改憲論をリードしてきた百地章氏の論考が発表された。「現行憲法では危機を乗り切れない 反対派の詭弁に惑わされず緊急事態条項を」(『産経新聞』平成二十八年二月十一日)。ここでは、関東大震災の例が挙げられ、「参議院の緊急集会すら召集できないと…。

 この点での論評は、夏に向けて安倍自民党がどのような案を出してくるのかを待ちたい。