第四案 前文と九条

 これには絶対に反対である。

 思い出していただきたい。第二次安倍内閣は、「まず経済」を掲げ、十五年も歴代政権が手を付けることができなかった日本銀行人事で勝利し、すべての選挙に勝利。さらに戦後レジームの象徴とも言うべき内閣法制局人事にも介入できた。その後、財務省との権力闘争に敗北し、自らの命綱であるアベノミクスを殺しかねない消費増税八%に追い込まれた。いまだに、その悪影響に苦しめられている。相手が弱すぎるから「一強」だが、財務省と公明党が手を組んだ場合、安倍首相にはなすすべがない。だから、増税再延期に向けて、菅官房長官が公明党に日参せんばかりの頭の下げ方をしているのは周知の通りである。

 この歴史を振り返ると、平成二十五年三月の日銀人事から七月の参議院選挙勝利までが、間違いなく安倍内閣の絶頂期だろう。この権力は、安倍首相が自力で勝ち取ったものだった。

 その時、安倍首相は「九十六条の厳しすぎる改正手続きの改正」を訴えた。返り咲いての代数が九十六代であるので、相当の意気込みであった。ところが前述の通り、産経新聞とフジテレビ以外のすべてのメディアがバッシングをはじめ、不戦敗となった。

 今の、岡田克也氏による敵失だけで政権を維持しているに等しい安倍内閣に、九十六条改正より難しいことができるのか。
安倍晋三首相が施政方針演説を行った衆院本会議場。首相が憲法改正など「戦後以来の大改革」を訴えると、与党席から大きな拍手がわいた=2015年3月12日
安倍晋三首相が施政方針演説を行った衆院本会議場。首相が憲法改正など「戦後以来の大改革」を訴えると、与党席から大きな拍手がわいた=2015年3月12日
 もちろん、日本国憲法前文がいかにおぞましいかは、小書『帝国憲法の真実』(扶桑社、平成二十六年)で一章をかけて書いた。文法の誤りなどを直せとの意見もあるが、小修正よりも全面削除がふさわしかろう。あれを要約すれば、「私たち日本人は悪いことをしました。二度と逆らいませんから、殴らないでください」である。「占領軍への詫び証文」とも言われるのも当然だ。内容があまりにもひどすぎて、「てにをは」を直すレベルではない。全面削除が然るべきだ。現時点で争点化するべきとは思わないが、自主憲法を謳う前文は天皇のお言葉でなければならない。では、どのような前文がふさわしいか。これは、長くなるので『帝国憲法の真実』をご参照されたい。一言で言うなら、帝国憲法の前文にあたる。

 しかし、「前文の字句を修正しよう」と言っても、どこをどう修正するのか、改憲派の合意すら、今からでは不可能だろう。やるなら、全面削除だが、代案も難しい。現時点で「天皇のお言葉にしよう」などと訴えることが通るとは思えない。

 憲法改正の本丸を九条に位置付ける論者は多い。その是非は、今回は論じない。だが、間違いなく断言できるのは、「九条で一点突破」など、玉砕するだけだと言うことだ。やってみる価値すら、無い。繰り返すが、九十六条ですら絶頂期の安倍内閣が不戦敗なのである。また、去年の安保法案がどうだったか。特に大した内容の法案とも思えなかったが、あの騒ぎである。

 では、自民党の九条改正案が、玉砕してでも価値があるほどの法案か。一つだけ挙げる。

自民党憲法案第9条の2(国防軍)
1 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

 緊急事態条項のところでも説明したが、総理大臣不在、内閣機能不全の場合はどうなるのか。総理大臣に関しては、内閣法で継承順位が五位まで決まっているので、誰か一人くらいは生き残るだろうとの楽観論を唱えられるかもしれない。

 では、現代戦では極めて普通にありえる、「閣議中の首相官邸にミサイルが撃ち込まれて閣僚全員が死亡」などという事態になったらどうするのか。

 帝国憲法下では「宮中序列」があり、総理大臣・枢密院議長を筆頭に、元老から衆議院議員全員に至るまで順位が決まっていた。ここで、いきなり「天皇の統帥権」などと、絶対に受け入れられない議論をしようなどとは思わない。ただ、帝国憲法下では、議会と内閣だけでなく枢密院があり、そして究極の安全保障機関として天皇が存在した。また、いかに緊急事態といえども、政府が「陛下の赤子」である国民の権利を侵害しないような仕組みでもあったのだ。四重の備えであった。実によくできていた。

 緊急事態への対処を含めた安全保障の問題と権利尊重のバランスは難しい。

 要検討であろう。

 少なくとも、今次参議院選挙までに、九条改正の機運が盛り上がるとはとても思えないし、安倍内閣を無意味に危険にさらすだけであろうから、反対である。