岡崎久彦(NPO法人岡崎研究所所長)
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■岡崎久彦(おかざきひさひこ) NPO法人岡崎研究所所長 1930年、大連生まれ。東京大学法学部在学中に外交官試験に合格し、外務省に入省。55年ケンブリッジ大学経済学部学士および修士。防衛庁国際関係担当参事官、初代外務省情報調査局長、駐サウジアラビア大使、駐タイ大使などを歴任。92年退官。著書に『日本外交の情報戦略』(PHP新書)ほか多数。
  第一次世界大戦前の強大ドイツを彷彿とさせる現在の中国。経済の相互依存関係が進めば、戦争は勝者と敗者の両方にとってマイナスである。誰もがそう考えがちだが、第一次世界大戦は起こってしまった。世界は中国とどう付き合うのか。 

 権利があれば、行使できるのは当然


 今後10年間の日本の最大の課題は、ここまで強大となった中国にいかに立ち向かうかである。

 当たり前のことのようであって、じつは、ほとんど誰も気付いていない。私自身その実情に気付いたのはつい最近のことである。

 気付かなかった理由は、主として二つある。

 一つは、それは、ごく最近の動きであり、しかも急速に年々増大しているので、つい、2、3年前の常識で考えていると、実態はまるで違っているということである。

 もう一つは、中国経済が一時の2桁成長の時期が過ぎ、公害問題などが噴出して、いままでのような高度成長は続けられないという見通しが出てきていることである。そうした将来へ向けての悲観論ばかりに注意が向けられているために、過去の中国の急速な成長が現在にもたらしている甚大なる影響、そして、今後とも6、7%の成長は続き、中国はまだまだ巨大化するという見通しの重大さを見失わせている、ということである。

 第一の点については、じつは私自身、気が付いたのはごく最近だった。

 その経緯は、ほかの論文でも触れたが、集団的自衛権の問題を論じる安保法制懇談会の最後の日まで、気付かなかった。

 少し脇道にそれるかもしれないが、ここで集団的自衛権の問題をもう一度レヴューしてみたい。政府解釈の変更はもう確定しているが、あとは、現場におけるその実施について、関連法案の修正が必要であり、それが、次の国会の会期中に大いに議論される予定であるからである。

 集団的自衛権の問題は、法制懇が緻密な報告を提出し、その後の、自民、公明両党間の与党協議で徹底的に議論されている。

 ちなみに私はこんな膨大緻密の報告は不必要と思っていたが、いまとなってそれはそれで意味があったと思っている。事実、その後、現在に至るこの問題の論議の過程で、日本は独立国として集団的自衛権が行使できるという本質問題においては、いかなる憲法学者、国際法学者からも、まともな反対論は提起されていない。あっても、些末な法手続き論だけである。

 批判は、「外国で血を流すのか」とか、「徴兵制への道を開く」とか、論理のまったくつながらない低俗なデマゴギーしかない。ということは理論的にはあの報告に誰もチャレンジできないということである。

 法制懇が同じ傾向の有識者ばかり集めたという批判に対して、北岡伸一氏は、「まともな安全保障専門家で反対の人はいないから」と答えていたが、ちゃんとした反対論が出ていないということで、それは実証されているわけである。

 簡単にいえば、日本は、新憲法制定後の国会で、国連憲章を、何ら留保も付けずに国会で批准している。そこには、日本が集団的、個別的自衛権を有すると明記してある。したがって、日本が集団的自衛権を有することはいかなる論者といえども否定できない。

 問題は、その後、政府が「その権利はあるけれども、その行使は許されない」という非論理的な答弁をしてしまったことにある。そして、長い55年体制のなかで、それを変更すると、社会党が予算委員会等で横になるという脅しの下で、その支離滅裂な答弁を繰り返さざるをえなくなっていただけの話である。

 権利がある以上それを行使できるのは当然である。ただ、それは権利であって義務ではない。もとより、その権利を行使して鉄砲を一発撃つということは往々にして一国の命運に関する場合がある。したがって、その権利を行使するかどうかは、その都度政府が慎重の上にも慎重に考えて、行使の適否を決めるというのが当然、というよりも、人類の常識で考えて、ほかに考え方のありえようもない結論である。

 その意味で自民、公明の与党協議の結論は、政府の手を縛りすぎるという批判はあるが、私は、あれでもなんとかなると思っている。

 憲法の精神が許容する「必要最小限」の線引きを、従来のように集団的自衛権と個別的自衛権とのあいだに線引きをせず、正当防衛と過剰防衛のあいだに線を引いたという意味で正しいアプローチだからである。

 与党合意は、くどいぐらい過剰防衛を警めているが、それは国家の安全に関わることであるから当然と思う。また、それが真に国家国民の安全に関わるかどうかは、その場になってみなければわからない。反対論が、表現が抽象的だと批判しているのは、もっともであるが、それ以外の方法はありえない。

東アジアの軍事バランス維持のために


 ところが、集団的自衛権の議論が沸騰するにつれて、政府は、「国際情勢がここまで厳しくなった現在、いままでどおりの解釈では日本の安全を守れない」という議論を使うようになった。東シナ海における最近の中国の行動等を見ると説得力のありそうな議論だからであろう。

 私としては、「馬鹿いうな、集団的自衛権はもともとあるので、情勢の変化など関係ない」といっていたが、ある自民党の派閥の研究会から、閣議決定前に派閥の態度を確定するために、「講演に来てくれ、それも、法律論はわかっているから、国際情勢の変化を中心に話してほしい」という依頼があった。

 何十人も擁する自民党の派閥の態度を決めるためといわれると、お国のために大事なことである。そこで、あらためて国際軍事情勢を見直してみて、私自身が愕然とした。

 法的議論ばかりにかかずらわっていて、国際情勢判断を閑却していたのである。

 私の不明の至りではあったが、情勢は急転している。これなら、法律論がどうであろうと、日本国民の安全のためには集団的自衛権の行使を確保する以外に方法がないことがわかった。

 そこで、私は法制懇の最後の打ち上げの日――本来ならばシャンシャンの手打ち式の日に――「こんな時間になって、新しい話を持ち出して申し訳ないが」といって、最近の国際情勢の変化を披露した。

 そのとき私が使ったのは第4世代戦闘機の数の比較である。第4世代機のF-15といえば、日本が冷戦の最後の時期、ロン・ヤス時代に、営々として整備し、当時アメリカを除いて、世界最強といえる200機を備え、その結果として極東ソ連軍戦力を封じ込めてしまった最先端戦力である。

 その戦力は冷戦終了後も保持され、日本自衛隊特有の高度の訓練、整備によって東アジアにおいて絶対的な航空優勢を誇っていた。

 それに対する中国の第4世代機は、1996年ごろ、台湾海峡危機があったり、当時の尖閣問題があったりしたころでは、せいぜい3、40機で、それも訓練中であり、いざ尖閣上空など東シナ海で戦闘となれば、文字どおり鎧袖一触であった。

 それがその後の中国の営々たる軍備強化で、2005年には、中国側が200機を超えるのである。その当時、私も含めて、危機感をもってその意味を指摘した人はあまりいなかったと記憶する。

 さすがに、航空自衛隊は、それでは日本を防衛できるという説明ができなくなって、その1世代前の第3世代機F-4約100機を改修してその能力を向上させ、それで、中国の第4世代機に対抗できるとした。それが、実際それだけの能力があるかどうかは、いまでも不確かである。

 しかし当時としては防衛予算の増加の可能性がまずゼロと考えねばならない状況で、他にどうしようもなかったのであろう。

 ところが、このF-4を足した数も、たった3年で、08年には抜かれてしまう。このときは、私も含めて、これを指摘した評論があったという記憶はない。

 こうなると在日米軍の第4世代機を足して考えねばならない。日米がそこまで自動的に一体であると考えてよいのかどうか、その点には疑問をもつ向きもあろうが、それ以外に対抗する手段もない。200機程度あるから、それを足せば一安心と思っているうちに、2013年にはもう追い付かれている、もう今年14年には追い抜かれているのであろう。

 あとは、常時日本周辺にいてくれるかどうかわからないが、横須賀の空母機動部隊の第4世代の艦載機を足すしかないが、これを足してもすぐに追い抜かれるであろう。

 もちろん軍事バランスというものは第4世代機の数だけで決まるものでもない。レーダーの性能、搭載ミサイルの性能など、多角的な要素がからんでくる。また、おそらく10年先のことであろうが、第5世代機の数の比較のほうが重要となる時期はいずれ来るのであろう。

 ただ、一つだけ間違いなくいえることは、尖閣付近の東シナ海で、中国の海空軍など日本の自衛隊の前には鎧袖一触といえた時期は遠く過去に去ってしまったということである。また、日本の自衛隊の力だけでは、中国に対抗できなくなっていることも事実である。さらに、日本の力なしで、極東米軍だけでも対抗できなくなっている。つまり、東アジアの軍事バランス維持のためには、日米共同の対処、すなわち集団的自衛権の行使が必要な客観情勢となったのである。

中国を刺激しなくなった世界


 中国の力の急速な拡大は、軍備だけでない。各国の貿易統計を見ると、これも21世紀の最初の10年のあいだに中国の影響力が飛躍的に増大して、国際的なバランスが逆転していることがわかる。

 まず日本の貿易を見ると、輸出入総額では、2007年に、中国との貿易が米国を抜いて第1位となっている。

 米国では、もともと陸続きのカナダとメキシコとの貿易が大きいが、07年には輸入額で、中国がカナダを抜いて第1位となっている。輸出入総額ではカナダがまだ1位だが、中国は04年にメキシコを抜いて第2位となっている。

 EUでは、輸入額では、07年に米国を抜いて中国が第1位となり、輸出入総額では米国に次ぐ第2位となっている。

 豪州では、輸出入総額で07年に日本を抜いて中国が1位となり、その後は08年に日本が再度1位となったのを除いて、1位を維持している。

 インドネシアとの貿易では、輸出入総額で、13年に、日本を抜いて中国が1位となった。

 インドとの貿易では、10年に中国が1位となり、その後11年、12年とUAE(アラブ首長国連邦)が1位となったが、13年には、中国が再び1位となっている。

 それがどういう影響をもたらしているのであろうか。それはEUにおいて最も顕著に表れている。

 EUでは、とくにリーマン・ショック後の世界経済停滞のあいだ、中国は、多くの国から、経済の救世主のように見なされた。

 今年2014年6月にも李克強首相が訪英した際、プロトコールの前例を破って、女王に謁見が許されている。

 とくにヨーロッパが伝統的に強く発言してきた人権問題については、完全に中国に屈服してしまったようである。ヨーロッパ諸国がダライ・ラマ14世の訪問を受け入れたあと、中国はハイ・レベルの交流を中止したり、大型の商談を打ち切ったりして圧力をかけ、それは100パーセント成功した。現在先進国の首都でダライ・ラマ14世の訪問を受け入れているのは、ワシントンと東京だけになってしまっている。

 また、英国は、香港に50年間の自由を要求できる立場にありながら、香港における中国の恣意的行動に目を瞑っている。

 東シナ海、南シナ海における領有権問題については、欧州諸国はいっさい発言していない。中国を怒らせるような言動は期待しうべくもないような状況のようである。

 豪州と日本との関係は、安倍内閣とアボット内閣とのあいだで、画期的な前進を見せているが、その前の労働党内閣の時代は、豪州側では対中配慮が優先していた。現在の保守党内閣は日本との密接な関係を謳い上げるのにやぶさかでないが、その場合も、中国との関係については一言も言及しない態度をとっている。中国をけっして刺激しない態度である。

 インドとの関係も、9月のモディ首相訪日で大いに進展することが期待されるが、その際中国との関係に言及することは――もしあってもそれは友好的姿勢を示す発言であろう――差し控えるであろうと予想される。

 こういう状況では、現在世界では、パワー・ポリティックスに基づく戦略論は封じられている状況になってしまった。

 現在世界のバランス・オブ・パワーの変化を論じるならば、中国の勃興、とくにその軍事力の飛躍的増大を論じなければ何の意味もない。ところが中国との経済依存の大きさを考えるとその問題を議論することがタブーとなってしまう。こんな状況で、どうやって国家戦略論を論じられるのであろう。

強大ドイツと第一次大戦




 ただ、それは20世紀初頭のドイツの勃興を前にしての国際関係でも、多かれ少なかれそうであった。

 第一次大戦は独墺同盟対英仏露三国協商のあいだの戦いであった。しかし、1907年に成立した三国協商においては、ドイツの名はいっさいメンション(言及)されていない。

 英露協商は、日露戦争で極東への出口をふさがれたロシアが、中央アジアから南下して、大英帝国の心臓といわれたインドを脅かすのを抑えるためであった。そして交渉の結果、アフガニスタンを中立とし、イランは北部をロシア、南部を英国の勢力圏とした。これで、もう英露間にはアジアにおける戦争の可能性はなくなった。そこで消去法で唯一の敵はドイツとなったわけである。

 英仏協商の場合はもっと露骨である。一言でいえば、イギリスはエジプトを取る、フランスはモロッコを取るということで、アフリカにおける英仏の植民地競争に終止符を打ったのである。

 これはどう考えてもフランスが損である。エジプトとモロッコでは重要性がまるで違う。ましてスエズ運河はフランス人が建設したものである。しかし、これでフランスは、唯一の敵をドイツとする外交的勝利を収めたのである。それがたんなる植民地分割協定でないことは、その年1907年元日の日付のクロウ覚書に明らかである。キッシンジャーによれば、クロウはビスマルク亡きあとの、最高の国際情勢分析者であるが、当時のドイツの勃興、とくに海軍力の増強について書いている。

「最強の陸軍力と最強の海軍力が一つの国家の中で結合すれば、世界がこの悪夢を克服するために結束するのは必然である」

 そして、安全保障環境の安定を決定するのは、意図でなく能力であるとした。

 1980年ごろ、私が防衛庁(当時)に着任したころは、いわゆる基盤的防衛力構想ができた直後であり、「脅威は能力と意図からなるが、現在ソ連はその意図があるとはいえないから脅威ではない」という型が決まった国会答弁があった。

 ソ連の脅威を認めれば、それに対抗する軍備が必要になる。ところが、それだけの防衛予算はない。ないならないでその不足を訴えるのが常道であるが、防衛費増強を訴えると、当時の表現でタカ派といわれるのを避けるために、いまのままでよいのだ、と理屈づけるための論理である。

 当時、防衛庁国際参事官に着任した私にも、そういう答弁をするように命令されたが、私はそれを拒否して一度もその種の発言はしていない。基盤的防衛力構想を主導した坂田道太議員などは、安保委員会で露骨に、岡崎でなく、他の政府委員に向かって答弁を求めたこともあった。

 クロウの緻密な分析をそのままご紹介するのは読者の負担になるので、その要点だけをいうと、ドイツの将来には二つの可能性がある。一つは明らかに軍事力の優越をめざしていて、それは周辺諸国への脅威となるという予想である。もう一つは、国際社会におけるドイツの正統的立場を確立し、ドイツ経済とドイツ文化の恩恵を世界にもたらそうとすることである。

 しかし、クロウは、第二の可能性は、将来いつでも第一の可能性に転じられる。また、第二の可能性が達成された強大ドイツは、それ自体脅威である、と論じている。

 事態は、まさしくクロウが予言したとおり、7年後の第一次大戦まで、まっしぐらに推移していく。

 公式の外交文書において、ドイツをメンションしないのは、それはそれでよい。しかし、その裏の政策文書においては、国家戦略をはっきりさせておく必要がある。さもないと、外交辞令と戦略とを混同してしまう恐れがある。

 経済の相互依存度についての議論も、当時すでに行なわれた。

 1910年に出版された、ノーマン・エインジェルの『グレート・イリュージョン』は、経済相互依存度と戦争との関係についての古典的名著である。

 そのなかでエインジェルは、先進工業国間の経済相互依存関係がここまで進んだヨーロッパにおいては、戦争は勝者敗者両方にとって損になる。少しぐらいの領土を取ってみたところで、経済的にあまりプラスにならないから無意味である、と論じた。それは、当時西欧文明の絶頂期を謳歌していたヨーロッパでは、ヨーロッパの先進性を意味するものとして、大いに受け入れられ、各国でベストセラーとなった。

 しかし、その先進世界で、第一次大戦は起こってしまった。その結果エインジェルは見通しを誤ったという批判を受けることになる。

 事実、第一次大戦勃発に際して、当時のカイゼル、ツアー、英仏の指導者の頭の中の片隅にも、経済相互依存度に対する考慮などカケラもなかったと思う。

 私は年来、経済と国際政治とはまったく無関係のものではないかと思っている。

 つい最近まで、米国政府の一部には、台湾問題はもう解決したという風潮があった。国民党政権となってから、大陸と台湾とのあいだの経済相互依存度が増大して、切っても切れない関係になり、いずれは大陸と台湾とは統一されるだろう、という見通しの上に立つ議論である。

 私はこの議論には一度も納得しなかった。台湾の人が中国に莫大な投資をしていることは知っている。しかし、ほとんどは、10年ぐらいで元を取る投資である。その点、20年ぐらい先を考える日本の大企業の投資とは異なる。ということは、ほとんどはもう元を取った投資である。その投資を守るために、台湾の自由を放棄して、共産党一党独裁の下に入るということは考えられない。

 だから、予想外の事態の進展で、両岸の経済交流が途絶しても、それは、戦争だからということで諦めるほかはない。戦争などはとてもできないから、降参して統一しようなどということはありえないと思う。

 経済で政治が動くという考え方の裏には、おそらく、下部構造が上部構造を変えるというマルキシズムの遠い影響もあるのではないかと思う。

軍事バランスは国家関係の基本


 私は従来、政治と経済とは無関係だといってきた。そもそも経済はプラスサム・ゲームであり、安全保障はゼロサム・ゲームである。

 国際的な貿易も投資も、両側が儲かるからやるのである。一方だけ儲かるのならば、取引が成立するはずはない。ということは、戦争で取引が中断すれば、両方が損をする。一方だけが損をするから、戦争できないということはない。

 日本と中国が戦争すると、日本は莫大な対中投資を失うが、中国側の損害も計り知れない。戦争で貿易が中断されると、中国の工業のほとんどは、輸出市場を失い、あるいは、日本からの部品の供給が途絶え、操業できなくなる。それがひと月、ふた月ならばまだしも、半年も続いたならば、工場の閉鎖で失業者が溢れ、社会不安を招き、中国共産党の支配体制そのものを揺るがしかねない。中国は長期戦に強いというのが、シナ事変、そして冷戦時代の対ソ戦争の準備において、与件のように考えられたが、現在の中国はまるで違うと考えてよいと思う。

 他方、安全保障はゼロサム・ゲームである。日本が戦闘機を1機増やせば、そのぶんだけ軍事バランスは中国に不利になる。プラスサム・ゲームということはありえない。

 集団的自衛権議論のなかで、中国との関係が悪くなるからという反対論があった。集団的自衛権を行使できるようになれば、それだけ日本の安全を高めることになる。すなわち、中国にはそれだけ不利になる話であって、中国が反対するのは当然である。中国が反対するからできないというのなら、戦闘機1機買うこともできなくなってしまう。つまり、そんなことをいっていると、日本の安全を高める措置はいっさい取れなくなってしまう。

 こと安全保障に関しては、相手の反発は与件として考えねばならない。

 私は、年来、完全な政経分離が正しいのではないかと考えている。軍事バランスは国家関係の基本である。既存のバランス・オブ・パワーが崩れては、それまでの国家関係は機能しない。

 だからクロウは、1907年に最強の陸軍を擁するドイツが海軍力で英国に追い付けば、世界のバランス・オブ・パワーが崩れると指摘し、その年に英露仏三国協商が成立するのである。

 最終的にはそれでもドイツの軍事力には対抗できず、ロシア軍は壊滅してしまうが、フランス軍が予想外によく防戦しているあいだに、アメリカを巻き込んでやっと勝つのである。三国協商を組んだのは、当時としては、最善の答えだったのであろう。

 現在と当時とのあいだには歴史的な類似性もある。ドイツが建艦法を制定して、当時すでに英国を凌駕していた工業力をもって大規模建艦に乗り出すのは1897年である。

 中国の軍拡は建国以来一貫して進められ、とくに1989年の天安門事件以来の、江沢民政権の軍に対する懐柔策の下に、多分に軍の意向どおりに進められてきていたが、それでも、それがインフレを除いて2桁成長となるのは1997年以降である。それは、1996年の台湾海峡危機の屈辱を晴らすために遺恨10年一剣を磨いてきたからだと解せられる。

 ドイツの建艦法から三国協商までちょうど10年である。中国が大軍拡に乗り出す1997年から10年経った2006、7年ごろ、東アジアでも同じような動きがあった。

 第一次安倍内閣の麻生外相が、「自由と繁栄の弧」を唱えたのもそのころであり、米国が、インドの核実験以来凍結していた米印関係を改善したのも、第一次安倍内閣がインド、豪州と親密な関係を結んだのもそのころである。

 その動きはその後停止していた。それはその後米国ではオバマ政権となり、日本でも民主党政権時代などがあったゆえともいえるが、より根本的には、中国の軍事力増強がいかに急速であるとはいえ、20世紀初頭にドイツの建艦が英国に追い付き追い越そうとしたほどの急速な脅威ではなかったということがあろう。

 しかし、すでに見てきたような数字によると、その後また10年近く経過した現在、1907年ごろ欧州で感じられた危機感は、現在感じられてもよいように思う。

中国に対抗する軍事戦略と外交戦略


 一つ留意しなければならないのは、技術の進歩である。技術の進歩は脅威を、それまでの予想を超えて加速させる。

 ドイツの脅威が俄かに感じられたのは、1906年に英国でドレッドノート型戦艦が進水して以来である。それによって、それまでの戦艦が全部旧式になり、ドイツが新たなドレッドノート級戦艦を進水させるごとに、英独の差が急速に縮まる状況となった。技術の革新は較差を一気に縮める。

 中国が米国と同じ能力の空母機動部隊を複数建設して西太平洋に配備するには、全力を挙げても、まだ10年以上はかかろう。

 しかし、長距離ミサイルの性能を向上させて、GPSを使って、西太平洋の米空母機動部隊を宇宙からピンポイントに攻撃できるようになれば、状況は一挙に変わる。いずれにしても技術革新の将来を正確に見通すことは困難であり、いつそうなるかわからないと、覚悟しておく必要がある。

 西太平洋どこでも、となると、まだ時間がかかるかもしれないが、台湾海峡周辺となると意外に早いかもしれない。長距離対艦ミサイルでなく、現有の戦闘機数だけでも、来る2016年の台湾総統選挙において、1996年のような米機動部隊の威圧が可能かどうか、もうわからなくなっている。

 結論は、中国の脅威に対抗するための軍事戦略、外交戦略について、遠慮しないで、正面から取り組むべきだということである。

 外交面で外交的であることは当然である。外交的な発言や文書で正面から中国を敵視する必要はまったくない。それは、1907年の三国協商の先例を見れば明らかである。

 しかし、軍事戦略家、外交評論家のレベルでは、あくまでも真実を探求し、それに政治的配慮を加えずに対策を論じるべきである。

 アメリカでは、ブッシュ政権末期のゼーリック国務副長官時代以降、オバマ政権を通じて、対中宥和姿勢を取ってきた。その間、対中戦略論を論じることはほとんどタブーであった。

 しかし、それがごく最近微妙に変わってきたようである。

 オバマ政権の姿勢は変わらない。しかし、国際政治学者、専門家、評論家、議会などにおける言説には、変化が感じられる。

 何十年も穏健中正で、政府の立場から一歩を踏み出さなかったボブ・サター、リチャード・ブッシュ(中国専門家)の論文にも微妙な変化が感じられる。逆に、従来親中的議論を展開してきたデイヴィッド・ランプトン教授のような人は、米国の中国観が、「関与(engagement)」から、「ヘッジング(hedging)」を経て、「抑止(deterrence)」へと変化し、現在は、「強圧的外交(coercive diplomacy)」という語が両国で聞かれると、慨嘆している。

 米国の政策が、そこまで変わったとは思わないが、たしかに米国の一般の考え方は変わってきている。オバマ政権の態度がはっきりしないぶんだけ、一般の考え方のなかに復元力が働くのは米国の特質である。

 これからは私も、政府内の人間でない特権を行使して、対中政策については、レアルポリティクに即して率直に発言しようと思っている。


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