梅原淳(鉄道ジャーナリスト)

 今日のJRの前身である国鉄時代の昭和51年2月から昭和57年1月にかけて、東海道新幹線は44回にわたって午前中の半日だけ列車が運休となった。この間にレールや架線などが取り換えられ、昭和39年10月1日の開業から10年を経過して老朽化にまつわるトラブルが多発した東海道新幹線は面目を一新したのだ。

 日本の大動脈である東海道新幹線の計画的な運休は興味深い結果を残した。国鉄は運休対策として、並行する在来線の東海道線や東名・名神高速道路を行く高速バス路線に多数の列車やバスを増発したものの、いずれも乗車率は低く、大きな混乱は起きなかったのだ。その後の国鉄の調査によると、東海道新幹線の半日運休時に利用者が取った最も多くの選択肢は旅行自体の中止であったという。言い換えれば、人々は新幹線が存在するから利用するのであって、そうでなければよほどの動機でもない限り出かけないのである。
東海道新幹線0系の引退を惜しむ多くのファンが集まった新大阪駅=1999年8月28日
東海道新幹線0系の引退を惜しむ多くのファンが集まった新大阪駅=1999年8月28日
 国鉄時代に得られた結果は、21世紀に入って開業を果たした整備新幹線でも同様の動向を示している。建設の必要性の是非が問われたなか、どの新幹線も多くの人々が利用し、新幹線の沿線となった地域と大都市圏との間の移動者が大幅に増加しているのだ。そして、その理由はまさに「新幹線が開業したから」としか考えられないのである。

 表1をご覧いただきたい。東北新幹線盛岡-八戸-新青森間と九州新幹線博多-新八代-鹿児島中央間がそれぞれ開業を果たした結果、関東対青森県と関西対熊本県とで移動した人の数がどれだけ変化したかをまとめたものである。
 どちらのケースとも、開業前と開業後とでは新幹線での移動者(開業前は新幹線と在来線の特急列車とを乗り継ぎ)数は2倍以上に増えた。いっぽう、主要な競争相手である航空の移動者数は減ったものの、新幹線の開業効果が上回り、全体の移動者数は関東対青森県で12.3%と、関西対熊本県では26.6%といずれも大幅な増加をもたらしている。

 よく言われる新幹線の開業に伴う経済波及効果とは、増加した移動者、特に大都市圏からの来訪者による直接的、間接的な消費の動向を指す。増加した移動者数の内訳は両ケースとも、大都市圏発と青森・熊本県発とがほぼ半々であるか、実際に得られる経済波及効果は青森県で6%程度、熊本県で13%程度増えた来訪者によるものだ。

 新幹線の開業によってなぜ新たな移動が生じるのか。確たる理由は不明ながら、やはり人々は巨大かつ安定した交通機関の誕生を強く意識するのであろう。実際に近年開業の新幹線は500人から1000人程度の旅客を一度に移動させることができるし、たいていの駅では1時間に1本程度以上の割合で列車がやって来る。運行についての安定度も高く、列車が大きく遅れる事態は少ない。

 航空の場合、輸送需要に見合った設定ながら、多くの路線では頻繁と言えるほどの便数ではないし、実際には天候によって運休する例は少ないとはいえ、多くの人々は欠航の可能性の高い不安定な交通機関であると認識している。また、自動車の場合は自らハンドルを握って移動することが多いため、交通渋滞であるとか万一の事故といった不安定な要素がさらに増す。空港や高速道路の建設によってその地域にもたらされた恩恵は、ことによると新幹線よりも大きいかもしれないにもかかわらず、人々は新幹線によりありがたみを感じ、実際に利用するのだ。