選抜高校野球選手権の開会式、21世紀枠で選ばれた香川・小豆島高の樋本尚也主将が選手宣誓をした。いつもは宣誓の文言やその声などに注目が集まるが、今回は野球帽を取った樋本主将の長髪に目が行った視聴者が多かったのではないだろうか。

 高校球児といえば「丸刈り」が半ば常識だが、小豆島ナインは樋本主将だけでなく多くが長髪だった。スポーツ刈りよりもっと長い、ごく平均的な小中学生男子の髪の長さくらいの長さだった。

故郷や母校への思いを込めた宣誓をする小豆島高の樋本尚也主将
=3月20日、甲子園球場(代表撮影)
故郷や母校への思いを込めた宣誓をする小豆島高の樋本尚也主将 =3月20日、甲子園球場(代表撮影)
 樋本主将は、来年新たに統合されて現在の高校が消えることから、「当たり前にある日常のありがたさを胸に、僕たちはグラウンドに立ちます」と語った。

 その言葉は、彼の長髪と相まって、現在の野球界が真っ直ぐ直視すべき、重要な示唆に富んでいると私には感じられた。

 プロ野球が揺れている。野球賭博の発覚を契機に選手たちのモラルや基本的な日常が問われている。その温床は高校野球にもある。

 まずは長髪から話を進めよう。「甲子園に出るのに、丸刈りでなくてもよかったんだ」
 樋本主将を見て、そう思った人は少なくないだろう。甲子園出場規定に「丸刈り」はない。それなのに、大半の球児たちは丸刈りで登場する。

 高校野球に身を投じると決めた時点で「髪を切る」のは当然の宿命であり、決断のようになっている。それが嫌で野球を辞める少年たちも少なからずいる。「強豪」と呼ばれる中学野球のチームもミニ高校野球のような雰囲気で、丸刈りを強制しているチームも少なくない。

 その点を直視してもすでに「当たり前の日常」から逸脱しているのではないかと思う。野球が「特別な道」になり、当たり前の社会感覚とずれていく。ずれているのに、それが優越意識となり、本人たちはいわゆるエリートとは別の野球エリート意識を心の中にふくらませていく。

 「甲子園を目指している」と言うだけで、どことなく誇らしく、周囲から賞賛されるような雰囲気もこれまではあった。それが実体の伴った誇りや自信につながればよいが、結局、モラルをなくし、野球賭博で処分を受けたプロ野球選手たちのように、日常や社会から「ずれた感覚」を大きく育ててしまう懸念もある。

 長髪の球児が甲子園に登場するのは今回が初めてではない。私が高校1年生だった昭和47年夏、甲子園に出場してベスト8になった高松一高(香川)の選手たちが長髪で話題になった。私も仰天した記憶がある。それから少しずつ、丸刈りを見直す動きが広がり、スポーツ刈り程度の高校球児も増えていった。

 調べてみると、朝日新聞と高野連が共同で行ったアンケートの数字が見つかった。それによると、平成10(1998)年には、丸刈りの高校野球部は31%しかなかった。ところが、15年には46%、20年には69%、25年には79%と増加傾向にあるのだ。ちょっと意外な数字だったが、このところ丸刈りがまた「常識化」していることを裏付ける数字でもある。

 少し前、「丸刈りのアイドル」の出現もあって、丸刈りがファッションとして「クール」な印象を持ち始めたこととも関係があるのかもしれない。以前ほど「丸刈りは恥ずかしくない」「むしろカッコイイ」社会的イメージを追い風にして、丸刈りはまた半ば強制的な伝統として高校球界に復活していたのだ。